昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「史上最悪の国会論戦」を動かした「ハーゲンダッツ」と「保守の知恵」

「安倍一強とかく戦えり」野党3党国対委員長・緊急座談会 #1

2018/08/03

genre : ニュース, 政治

二階幹事長が「『あれっ、計算間違いしてた』と言えばいい」

辻元 国会議事堂の中にある自民党国対の部屋に通い続けてわかったのは、そこに詰めている党職員たちがすごく有能だということ。長年、国対を担当しているので、国会議員でさえ知らない知恵をたくさん持っているわけですよ。

 私が森山委員長に「野党が言っていることを実現できる時間配分、自民党と折り合いがつくような妙案を考えてください」と頼むと、そばにいる自民党職員に「考えろ」と指示するんですよ。すると党職員が隣の部屋に行って何か話し込んでいるんですよ。しばらくすると森山委員長のところにパッとメモが来るわけです。それを「うーん」と見て、「まあ、100パーセント応えられるわけではありませんが、このような感じではいかがでしょうか」と私に妥協案を出してくる。私は「もうちょっと、もうひとひねりないの?」と言う。すると、ふたたび職員が……。

玉城 そういうことを続けて、最後は野党の要望を押し切った。

 

辻元 時間闘争はすでに昨年の臨時国会でも始まっていたわけですね。文部科学委員会の質問時間の配分を巡って、自民党が「与党5対野党5」と言い出した。それも「与党1対野党2」まで押し返して、受け入れたということがありました。

 その頃、面白いことがありました。自民党の国対委員長室で森山さんが野党との妥協案を探っていたら、二階俊博幹事長が来て言ったそうです。「森山委員長、(党内から文句言われたら、)『あれっ、計算間違いしてた』と言えばいいじゃないか」とか。

自社さ政権では小さな政党の意向を大事にした

――なるほど、懐深い「保守の知恵」というやつですね。

辻元 私は社民党時代に自社さの第二次橋本内閣(1996年11月~98年7月)を経験しています。当時、新人議員でしたが、少数政党なので幹事長代理。自民党のカウンターパートは大物中の大物、野中広務さんでした。その時、野中さんから日々ご指導いただく中で「小さな傷から全身に毒が回るんだ」ということを教えてもらいました。少数意見を疎かにすると政権全体の力が蝕まれるということです。

 当時の衆議院は、自民が239議席、社民党は15議席、さきがけが2議席だったかな。過半数250の時代なので、社民党の「15」がないと法律を通せない。野中さんはとにかく数の力で押し切らず、小さな政党の意向を大事にした。いろんな法案を決める時の会議でも、自民党3人、社民党2人、さきがけ1人の構成にするんです。私は、自民党がまだしっかりしていた時代の感覚がずっとしみついているから、今の自民党も圧倒的少数の野党と対等に議論すべきだと思うのです。

 

 今の政権は勘違いしているよね。「野党は敵だ」と思っている。だけど、少なくとも森山さんと二階さんのお人柄はそうじゃないと感じることがあったので、私は丁々発止はするけど、敵愾心を抱いたことはありません。おふたりは「自民党は官邸の下請けではない」という意識を持って国会運営をしたいという姿勢はあった、少なくとも最初はね。働き方改革法案を巡る厚生労働省のデータねつ造が発覚した時も、われわれが「こんな法案は見直すように与党からも言わなきゃあかん」と迫ったら、二階さんはちゃんと官邸に話し合いに行きましたからね。

 ところが、モリカケ問題で総理と昭恵さんにからむ話になると、官邸はちょっとしたことでも敏感に反応して党に口を出してくるわけです。例えば、ゴールデンウィーク前後に国会を止めた時、与党は、野党を審議に復帰させる条件として森友学園の土地取引を巡る改ざん前の財務省文書を出すと言ってきた。野党側はその提出期限を明示するよう要求したら、「5月18日」と言ってきた。ところが、期限の前日になって「23日にしてくれ」と言ってきたことがあった。それは、官邸の力が働いたからだと思います。