垂れ幕のような戦術を野党は捨てるべきではない
――自由党と言えば、国会最終日でも参議院本会議場でカジノ法案の採決時に山本太郎、森裕子両議員が垂れ幕を掲げました。あれも戦略ですか?
玉城 戦略です。あれは事前に「こういうのをやろうと思う」と言われて、僕自身の判断でオーケーした。現に、西日本で豪雨災害が起こって、しかも連日の猛暑で大変な時に国交大臣がカジノのことなんかを議論している。「カジノより被災地を助けて」「カジノより学校にエアコンを」と、この場面で誰かが言わねばならないでしょう。それで懲罰にかかろうがどうなろうが、われわれは覚悟を持って国会に国民の声を出しましょうということでやりました。「パフォーマンスだ」という批判もありますが、僕らはあのような戦術を野党は捨てるべきではないと思います。
辻元 自民党も野党時代はさんざんやっていたんですよ。自民党の武田良太衆院議員が、私に「自民党が野党の時ほど下品な国会はなかったんだ」と言うわけ。「みんな、忘れてるじゃない」と返したら、「そうなんだよ。今の野党は上品だよな」って。
泉 それは事実です。やっぱり委員会の最中にプラカードを掲げて抗議するというスタイルは、それこそ小泉進次郎さんもやっていたんじゃないですかね。野党時代の自民党は、事務方の連絡ミスで大臣が委員会に5分遅刻しただけで委員会を開かないという強硬策も取りました。
玉城 民主党政権の時に風邪をひいた大臣が委員会を離席して、秘書が薬を持ってくるのを議員食堂で待っていた。「水だけじゃ悪いから」とコーヒーを頼んだら、後になって「とんでもない」と自民党が追及した。病人さえとっちめようとする戦略ですよ。
ブレるのが、一番駄目なんです
辻元 与党は「野党の18連休」と主張したけど、自民党は民主党政権時代の3年3カ月で85回も国会を止めました。自民党の審議拒否と今回の私たちが止めているのは意味が違います。自民党は単なる審議を拒否して嫌がらせしたんです。与党になったら、あれもこれも安倍総理をかばうため、さすがに審議に入れる以前の状況。だから、与党から「モリカケ追及ばっかり」という批判が上がっても、私は恐れなかったんですよ。ブレるのが、一番駄目なんです。途中で心に迷いが出ると負ける。
泉 通常国会の冒頭では結構、「辻元さんは国対を今までやったことがないから大変なことになるんじゃないか」という噂が流れたけど、実は自民党の重鎮たちからも薫陶を受けた経験があり、国対の肝をちゃんと分かっている。この国会は「辻元スタイル」が確立したと思います。
辻元 なにそれ、辻元スタイルって(笑)。
泉 辻元さんはアクセル、泉健太はブレーキ、玉城さんはハザードランプ。野党の国対はそういう1台の車であって、それぞれの役割を担っている。
玉城 俺はターボじゃないかな(笑)。
※ #2[「18連休」「モリカケばかり」「公開リンチ」……嫌われ野党の言い分は?]に続く
辻元清美(つじもと・きよみ)
1960年奈良県生まれ。早稲田大学卒業。学生時代にNGO「ピースボート」を創設し、若手論客としても頭角を現す。96年、土井たか子社民党党首にスカウトされ、衆議選で初当選(比例近畿ブロック)。NPO法を議員立法で成立させる。2002年、秘書給与流用事件を受け議員辞職するが、05年の衆院選で国政復帰(比例近畿ブロック)。民主党政権で国土交通副大臣、首相補佐官、民主党役員室長、民進党幹事長代行などを歴任し、17年、立憲民主党を結党。党国会対策委員長に就任。現在、当選7回(大阪10区選出)。
泉健太(いずみ・けんた)
1974年北海道生まれ。立命館大学卒業後、福山哲郎参院議員の秘書を経て、2003年の衆院選で初当選(民主党公認、京都3区)。その後、連続当選を果たし、補選も含め現在当選7回。若手時代は民主党青年局長、民主党政権では内閣府政務官を務める一方、国会では主に国対畑を歩む。10年、河野太郎氏、細野豪志氏らとともに「ねじれ国会」の打開に向けた国会改革を超党派で提唱。17年、希望の党国対委員長に就任。18年、国民民主党の結党に参画し、党国対委員長に就任。
玉城デニー(たまき・でにー)
1959年沖縄県生まれ。上智社会福祉専門学校卒業後、福祉施設職員、内装業などを経て、琉球放送の人気ラジオ番組でパーソナリティを務める。2002年、沖縄市議会選挙でトップ当選(無所属)。05年から国政進出を目指し、09年の衆院選で初当選(民主党公認、沖縄3区)。小沢一郎氏を師と仰ぎ、12年の民主党離党後も、国民の生活が第一、日本未来の党、生活の党など小沢氏と行動をともにしながら、連続当選4回を果たす。現在、自由党幹事長兼国対委員長。
写真=佐藤亘/文藝春秋