識字率、世界に先駆けた「先物取引」……近代化の成功要因

――その後、波乱の明治維新を経て日本は近代化に成功するわけですが、普通なら欧米列強の植民地にされてもおかしくなかった状況で、日本はなぜそれを回避できたのでしょうか。

エミン これは本当にたくさん理由がありますが、一つは日本の人材のレベルが高かった点にあります。日本はそれまで一般人を巻き込んだ大きな戦争や海外からの侵略がなく、人口も3000万人くらいに増えた平和な江戸時代において、人々の識字率は極めて高かった。人材のレベルが高いと、海外から新しいものが入ってきた時の吸収率が高い。要は高度な人材の育つスピードが速かったんですね。

エミン・ユルマズ氏

 もう一つは江戸時代の前半はどちらかというと農業が中心の経済をオーガニックに伸ばそうとしていたのに対し、後期になると「プロト工業」と言われるような工芸品作りや職人的な産業が発展していった。日本人の職人気質という土台も、非常に早い段階で欧米の技術を取り入れて、機械化し、工業化するのに繋がっていったんだと思います。

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 江戸時代の経済基盤も見逃せない要因でしょう。例えば大坂の堂島米市場で行っていた米の「先物取引」は、世界に先駆けた高度な金融システムです。国内には東海道はじめ五街道が整備されていましたし。

――僕らが思っている以上に江戸の経済は発展していたわけですね。

エミン あと日本は「いいとこ取り」が上手でした。明治の人たちはものすごくオープンマインドですよ。高い意欲でいろんなものをどんどん吸収する。例えば鉄道や郵便はイギリス、銀行システムはベルギー、陸軍はプロイセン(ドイツ)、海軍はイギリスと、いろんなところから「いいとこ取り」をしている。どこを取り入れるかのセンスも良かったんだと思います。

初期の日銀が果たした大きな役割

――「日本近代化の最後のピースになったのは金融システム導入だ」とエミンさんは書かれていますが、明治初期には各藩が独自に発行した藩札がありましたが、やはり日銀ができて統一の紙幣ができたのが大きかったのでしょうか。

エミン その通りです。日本で最初につくられた銀行は、渋沢栄一が設立した第一国立銀行で、これがいまのみずほ銀行です。その後、銀行が続々とつくられて、昔は国が設立順に番号付けしてたでしょう。

日本橋兜町の銀行発祥の地 ©AFLO

――七十七銀行とか、十六銀行とかですよね。

エミン そう、昔の番号の名残りですよね。初期の頃は通貨発行権がまだはっきりしてなくて、各銀行が通貨を発行してたんですが、カオスになってきたので、日銀が通貨発行独占権をもつ形にしたんですね。そのさい政府が日本円の価値を保証したんです。

 明治期には大型投資のリスキーな案件、例えば鉱山開発だったり造船だったり大規模な設備投資への融資を金融機関が行う必要がありましたが、そのさいローンをほぼ日銀が保証したんですね。もし焦げついても国がバックアップしますよ、と。

 さらに当時の日本のもうひとつの特徴として、ロシアやオスマン帝国とちがって、各分野で1社によるモノポリー(独占)ではなく、オリゴポリー(少数の大手による市場の支配)を採用したんですね。重工業などの分野でも、1社だけでなく、2、3社競争させることで国が発展していった。