「この子はこんな子じゃなかった!」
――高校生のお小遣いじゃ到底無理ですね。
かさい そう。それで15、16歳くらいから中洲のキャバクラで働き始めました。当時はダメなんでしょうけど、なぜか同年代の子もいた時代でしたね。みんなお金を貯めて何かステップアップするために働いているなか、私は「服が欲しい」「日サロに行きたい」っていう一心でしたけど(笑)。
――中洲での経験はどうでしたか?
かさい やっぱり中洲って歴史がある街で、キャバクラにもママがいるんですけど、お店のママは礼儀作法に厳しいんですよね。それで話し方とかお酌の仕方とかを叩き込まれました。
あと思い出すことといえば、私は「黒ギャル」だったんで、お店ではめちゃくちゃ怒られました。「髪を染めろ!」って。当時のキャバクラにはまだ金髪とか派手な髪色の子が少なかったですし、男ウケが悪かったんです。
だからお店に出る時はウィッグを被ったり、メイクを薄くして「半ギャル」くらいに抑えていました。それで、仕事が終わったらメイクを足して完全体のギャルに戻って遊びに行く……みたいな生活でしたね。
――お母さんは夜の世界に行かせたくなかったとのことでしたが、中洲で働くギャルのかさいさんとはどのような関係だったのでしょう?
かさい 私が働いているお店に来てそのまま連れて帰られたり、最寄り駅の前で待ち伏せされて家に帰る前にメイクを落とされたり、「この子はこんな子じゃなかった!」とお寺にお祓いに連れて行かれたり……色々ありましたね(笑)。
今だと母の気持ちもすごいわかるんですけど、当時は反抗期もぶつかって、「私のことはいなかったことにしてください」とすら思ってしまっていました。
――そこから東京へ行くきっかけは何だったんでしょう?
