福岡県有数の繁華街“親不孝通り”でスナックを営む母のもと、「夜の世界に行かないように」と厳しく育てられた少女が、中洲のネオン街を経て、東京のセクシービデオ業界へと辿り着く――。

 その背景には「ビビッときたものには飛び込む」性格があったと振り返るかさいあみさん。直感と行動力で自身の人生を切り開いてきた彼女はこれまでの半生をどう振り返っているのか。

かさいあみさん

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昼は保険の外交員、夜はスナック経営をしていた母

――デビュー前のお話から伺わせてください。どのような子ども時代だったのでしょうか。

かさいあみ(以下、かさい) 母子家庭で、母は昼は保険の外交員、夜はスナックを経営していました。福岡の「親不孝通り」でママをやっていて。だからなのか、私のことは夜の世界に行かせたくなかったみたいで、「ちゃんと働きなさい」って厳しく育てられてきましたね。

――でも、高校時代は「ギャル」の道へ進んだそうですね。

かさい そうなんです。地元は田舎の方だったんですが、当時好きだった男の子に「一生ついていく!」という思いで、同じ高校に入学したら、少し都会的な子たちが集まってきている学校で。そこで出会った友達の一人がギャル雑誌の『egg』を持っていて、それを見た瞬間にビビッときて。「私はギャルになるんだ!」って目覚めちゃったんですよね。

――覚醒の瞬間だったんですね。

かさい はい。入学して1学期で学校に行かなくなりました(笑)。学校の勉強ではなくて、人生を勉強したいというか、もっと派手な世界に行きたくて。

ギャル時代のかさいあみさん

 ただ、本気でギャルをやるにはお金がかかるんですよ。当時は「アルバローザ(ALBA ROSA)」っていうブランドが流行っていたんですが、そのロゴが入った服を着てないと“最上級のギャル”として認められないみたいな空気があって。ワンピース1枚で4万円とかするんですよ!

 それに日サロにも週2回は通って肌を黒く維持しなきゃいけないし、エクステ代もかかるし……。