奇跡的に受かったメイドカフェで

かさい 福岡でパラパラのグループを作って活動したり、それで『egg』に載ったりもしていたんです。そのなかで福岡というコミュニティの狭さみたいなものも感じて。20歳になる前に「東京に行きたい」って思っていたんです。「本場を見てみたい」みたいな気持ちですかね。

 あと、当時付き合っていた彼氏の浮気癖がひどくて(笑)。「もうこの人じゃなくてもいいや、東京に行けばもっと出会いがあるでしょ」って吹っ切れたのもあります。それで、親に「東京に行ってきます」という内容の書き置きを残して、10万円だけ持って家出同然で上京しました。

――ずいぶん突発的な上京ですが、それからどのように生活されていたのか教えてください。

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かさい 地元の福岡でギャルをやっている時は「ダサい」って思われるのが怖くて、オタクであることは絶対に言えなかったんですけど、上京して3日後には体が言うことを聞かずもう秋葉原にいました。私、見た目は黒ギャルでしたけど、中身はずっとオタクだったんですよ。きっかけは『SLAM DUNK』でした。ただ、本物ではなくて同人誌で「なんて美しい世界なんだ!」って感動しちゃって(笑)。

――生活費はどのように稼いでいたんでしょうか?

かさい 当時は『電車男』が流行った影響で、秋葉原にある行ってみたかったメイドカフェへ行き、「これだ!」って思いたったので、その日のうちに面接のメールを送って、髪の毛を黒く染め直して、奇跡的に受かったのでメイドカフェで働き始めました。

メイド服で着飾るかさいあみさん

 ただ、それだけだと生活していくには厳しかったので、夜は六本木のクラブで働いていましたね。抵抗はなかったですし、中洲で鍛えられていたので。

――夜は六本木、昼は秋葉原。一緒に働くスタッフも、客層も全く違いそうですね。

かさい そうですね。六本木はギラギラしたお姉様たちがいて、芸能の卵みたいな子も多かった。それはそれで刺激的だったんですけど、心が本当に満たされるのは秋葉原でした。

 六本木ではアニメの話なんて誰ともできないけど、秋葉原に行けば、お客さんもメイド仲間もみんなオタクだから、本当に純粋な自分になれて。夜は現実的にお金を稼いで、昼は趣味と実益を兼ねて癒やされに行く。そんなバランスで生きていましたね。

――その「二重生活」に葛藤はなかったんですか?