毎年のように、箱根駅伝のエース区間「花の2区」の区間記録を更新するケニア人留学生。正月のテレビ画面越しに、彼らの活躍を見続けてきた私たちだが、彼らがケニアではどういう暮らしをしていて、どうやって日本に来て、そして卒業後に何をしているのかについては知らないことばかりだ。
ここでは、そんなケニア人留学生の謎を追ってアフリカの大地を訪ね歩いたノンフィクションライター・泉秀一氏の著書『アフリカから来たランナーたち 箱根駅伝のケニア人留学生』(文春新書)より一部を抜粋。2025年に箱根2区で区間新記録を樹立した、東京国際大学のリチャード・エティーリ選手の素顔を紹介する。(全3回の1回目/2回目に続く)
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箱根駅伝の花の2区で区間新記録を樹立したランナーの育った町
箱根駅伝が終わってからわずか2週間しか経過していない、2025年の1月中旬のことだった。午前10時、私はケニアの中西部に位置するニャフルルという小さな町で、あるランナーと待ち合わせをしていた。
この年の箱根駅伝のエース区間、花の2区で区間新記録を樹立したその男は、50メートルほど離れた場所から私を見つけると、少し照れたように顔を下に俯けながら、ゆっくりと近づいてきた。トレーニング終わりとのことで、背中には小さなナップザックを背負っていた。
その男、リチャード・エティーリは、ここニャフルルでは何の変哲もない1人の青年だった。初めて彼に会ったのは町の中心部にある、古びた小さなマーケット・コンプレックス。
名前の通り、「複数のショップが入る複合施設」と説明すると聞こえが良いかもしれないが、コンクリートが剥き出しの建物は作りが古く、建物内部も薄暗い。ショッピングを楽しむというよりも生活必需品を求める人々が集まる実用的な場所といった趣だ。
現地の大手通信会社であるサファリコムの看板を掲げた携帯ショップ、中古のスマートフォンや充電ケーブルなどを並べた小型の電器店、色とりどりの古着を吊るした衣料品店、そして薬や日用品を扱う雑貨店が、施設内にポツポツと並んでいた。



