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広島の丸善で出会った、ブルーノ・ムナーリの絵本

――街で見かける広告全般を作る部署ということですよね。

やべ ええ。今メーカーの広告は、広告会社がやっているのでしょうけど、あの頃は自前で作っていたんですよ。だから新車が出るたびに撮影に行って、カタログ・チラシ・新聞広告……。あらゆるものを僕がいた部署で制作していました。自動車の歴史を紹介する、工場見学へ子どもが来た時に配るための小さな冊子も僕が描いて作りましたね。その表紙が『年鑑イラストレーション』に収録されたことがあって、こういう仕事で生きていけるんじゃないかと、思ったんです。そんなに甘いものではなかったんですけど(笑)。 

 

――『年鑑イラストレーション』には、やべさんのお名前も。

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やべ もちろん載りましたよ。うれしくて、すごくよく覚えています。収録された人が招待される東京のパーティーに行ったこともあります。赤坂まで出かけて、和田誠さんや古川タクさんがだいたい同年代なので、ちょっとだけお話ししたことがありますね。僕がまだ22歳か23歳くらいの頃です。

 その頃、広島の書店・丸善で「世界の絵本展」をやっていて、ここで僕は絵本と出会いました。ブルーノ・ムナーリの仕掛け絵本をめくっていて「あっ、こういう面白い世界があるのか」と。毎日のように通いました。めくるだけで伝わる絵本ですよね。ユーモアがあるし、この人もデザイナーだから余計気になったんでしょう。当時の僕の稼ぎからしたら高い本だったけど、どうしても買いたいと思って、何冊か手に入れました。

 

――『the birthday present』は、トラックの運転手であるお父さんが、子どもの誕生日プレゼントを買って家に届けるまでのお話ですね。

やべ 翻訳出版されましたけど、当時はまだ日本であまり知られていない存在で、本当にびっくりしましたよ。言葉だけではない、仕掛け。デザインと絵の力によって、めくるだけでこんなに気持ちが動いて、ワクワクする。すごく面白いと思いました。トラブルが起きながらも、何とか家まで帰る道中で、お父さんは靴が脱げてしまうと裸足で進むんですよ。人間らしくていいなあ、と思います。僕、ムナーリには何度か会ったことがあるんですよ。

 

――えっ、どうしてですか?

やべ 1985年11月に、来日していたムナーリが、青山の「こどもの城」のオープニングに合わせて5日間、「シンポジウム」(テーマは「子どもたちの創造性をいかに愛情をもって引き出し育てるか」)と、「アートであそぼう」のワークショップをしたんですよ。僕も通いまして。

――すごい。貴重な機会ですね。

やべ ええ。通訳の方を通して少しだけ話もしました。ワークショップで聞いたこともメモに残していますね。スタンプ遊びのこと、子どもがどんなものに興味を持つかということ。

 

――ムナーリの他に、影響を受けた人はいますか?

やべ 長新太さんや井上洋介さん。それから、上京するきっかけをくれた木葉井悦子さんの「私は、人生は幼児の頃記憶に染み込ませた記憶を繰り返し繰り返し螺旋を描いてふくらませていくようなものだと思っている」という言葉は、僕にとって、すごく大切なものです。