文春オンライン

カラテカ矢部の父・やべみつのり「絵本と紙芝居作りを仕事にするということ」

絵本作家・やべみつのり インタビュー #2

note

帰り道に考えた「色はどこかに帰ってるんだ」

――絵本では、ご長女の成長を記録した絵日記が元になっている『かばさん』(こぐま社)がデビュー作です。

やべ 僕は絵本作家になろうとか、出版しようとかは思っていなかったんです。でも、娘にプレゼントした手作りの絵本がこぐま社の当時の社長だった佐藤英和さんの目にふれて、思いがけず出版されることになりました。

 同じ時期に、四谷の造形教室「ハラッパ」を主宰するようになりました。16年通ったんですよ。ビルのオーナーの方が、自分の子どもと近所の子どもに造形教室をやってくれないかと。絵本『あかいろくんとびだす』(童心社)は、造形教室から新宿、そして東村山へ向かう帰り道、一つ一つ明かりが消えて、夕暮れからやがて暗い夜になる様子を眺めていて、「都会は色がいっぱいあるけど、夜になると色がなくなっていく。あれは色が形から抜け出して、どこかに帰ってるんだ」と思っていたんですよ。

ADVERTISEMENT

絵本『あかいろくんとびだす』の原画

――信号機の「あかいろくん」がいつもいる場所から飛びだして冒険するお話は、帰り道の空想から生まれたんですね。

やべ 色の気持ちを絵本にできないか、挑戦しました。例えばりんごは色を塗る人によってどんな色にもなるでしょう。形っていうのは、古くなると思うんですよ。だけど色は何にでもなれる可能性があって、自由なんです。色は光があるから、古くならない。ずっと思っていたことを、なんとか絵本にしたかったんですよ。

 

――仕事用の机を見せていただいてもいいですか?

やべ どうぞどうぞ。あれが、『あかいろくんとびだす』の原画です。あとは普段使っている道具。絵の具とネオカラー(CARAN D'ACHE社)、筆。

 

――これは、紙芝居用の……。

やべ 紙芝居を入れる箱です。「舞台」って言うんですよ。僕はカラフルなものや、訪れた国で作っている舞台が好きで使っています。これは、ミャンマー製の紙芝居舞台です。

ミャンマーの研修で昨年作られ、出版された紙芝居『3つの季節がくれた贈り物』

 ミャンマーには、「シャンティ国際ボランティア会」(SVA)から派遣されて、3年続けて行ってきたんですよ。児童図書に関わりのある人たちへ研修をして、紙芝居の面白さや作り方を伝え、日本生まれの紙芝居がミャンマーで育ち始めています。紙芝居は素朴なメディアで、電気もいらないし、お金がかからない。そしてみんなで楽しめる。インターネットとは対極でしょ? 若いインターンと話をしていても、みんなスマホで世界とつながっているようだけど、僕はとことん「オフ人間」(笑)。アジアへの旅は、「子どもの頃の自分の感性」を思い出させてくれました。

――これから、やべさんがやってみたいことはありますか。

やべ 高齢者の方は、街頭紙芝居を見てるでしょ。僕の『昭和の窓』(雲母書房)という紙芝居が思いがけず売れているようです。だんだん、スマホみたいな新しいメディアに馴染めない人が昔のものを見て思い出したり、語り合ったりね。今、赤ちゃん絵本を描くようにも頼まれているので、お年寄りの紙芝居と一緒に、作っていきたいと考えています。それから、いつか太郎のことも、絵本にしてみたいですね。

#1からつづく)

 

写真=末永裕樹/文藝春秋

やべ・みつのり/1942年、岡山県出身。1977年より造形教室「ハラッパ」を16年間主宰。現在は、各地で、造形あそびや、紙芝居づくりのワークショップを開いている。絵本に『かばさん』『ふたごのまるまるちゃん』『あかいろくんとびだす』『色セロハンあそび ぼくはうみ わたしはひかり』などがある。紙芝居も多数手がけ、『これはジャックのたてたいえ』『でてきた なあーんだ?』『かわださん』『昭和の窓』などの作品がある。

カラテカ矢部の父・やべみつのり「絵本と紙芝居作りを仕事にするということ」

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー