「先生」と呼ばれる老人
中へと案内された蔵人ら2人は会議室に通された。赤い絨毯が敷かれ、壁には大きな絵、部屋の真ん中には大型の楕円形テーブルがある。8脚並べられた椅子のひとつに腰掛けた蔵人の目の前に現れたのは、中肉中背で頭が禿げ上がった老人だった。専務理事からしきりに「先生」と呼ばれた、その老人は、これまた蔵人の知るところではなかったが、その時、76歳であった。
専務理事がすぐに会議室から出て行くと、先生が説明を始めた。
「太平洋戦争の戦勝国が日本から接収した莫大な資金を基金として管理している。そのうち極東アジア12カ国に割り当てられた資金を『MSA』という組織が管理しており、私は資本金500億円以上の基幹産業を支える企業に対し資金提供事務を担当している。コロワイドは基幹産業ではないものの入会金360万円で会員とすることができる」
おおよそそんなところが先生の説明だ。
蔵人はその場で入会の意向を示した。申込書や秘密保持契約書にサインをしている間、紹介者の吉江はどういうわけか、先生に対し盛んに文句を言っていた。その間、先生はしかめっ面だ。
すると、専務理事が会議室に入ってきて、吉江を外に連れ出して行った。
後の民事裁判で行われた証人尋問において、蔵人はこんなことを言っている。
「私の気持ちは、一年中、だから引っ掛かったんでしょうけど、気宇壮大ですから。……1兆円欲しかったですね」
居酒屋への業態転換で飛躍したコロワイド
コロワイドという会社はここまでM&A(合併・買収)によって伸してきた。
もともと同社は三浦半島の一角、神奈川県逗子市内で食堂を経営する「山本商事」として1963年に設立された。蔵人が入社したのは3年後のことだ。会社が飛躍するきっかけとなったのは当時流行していた居酒屋への業態転換だった。1977年のことである。それまでの「甘太郎食堂」から「手作り居酒屋 甘太郎」へと看板を掛け替えたのだ。4年後に大船へと進出し、直営方式による多店舗展開に乗り出す。さらに5年後に町田店を出して東京に進出、やがて版図は関西にも広がった。1994年に名乗り始めたコロワイドという社名は英語のカレッジ(勇気)、ラブ(愛)、ウィズダム(知恵)、ディシジョン(決断)を掛け合わせた造語である。
コロワイドが得意とするセントラルキッチン方式は規模が物を言う。1999年に株式を店頭登録して資金調達力を増して以降、本格化させたのがM&A戦略だった。手始めは2002年の「平成フードサービス」の買収である。横浜中華街の出世頭である「聘珍樓」の創業一族が並行して手掛けていた会社で、神奈川県内においてオーガニックレストラン「濱町」や郷土料理店「北海道」を展開していた。売上高は約100億円。直前の決算期、コロワイドの売上高は約220億円だったから、かなり思い切った買収策と言えた。買収金額が4億円と割安だったのは、低収益企業を抱え込むリスクと引き換えだった。