一般には知られていない莫大な秘密資金の存在を匂わせ、投資を迫る――。そんな手口で数々の経営者や資産家から金を巻き上げてきた「M資金詐欺」。
元を辿れば「M資金」とは、終戦後に広まった「GHQが日本から接収した資産を隠している」という噂から始まった言葉だ。そんな荒唐無稽な話を、名のある権力者たちがどうして次々に信じてしまったのだろうか。
ここでは『ペテンに踊る M資金の魔力に憑かれた経営者たち』(宝島社)より一部を加筆して紹介する。ドラマ「白い巨塔」にも出演していた俳優・田宮二郎氏を自死に追い込んだ“融資話”とは……。(全3回の3回目/続きを読む)
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※本文中は書籍転載のため敬称略
2000億円の融資話を信じて自死に追い込まれた俳優・田宮二郎
前回の記事で紹介した「M資金関係事案別チャート綴」が最初に取り上げる俳優の田宮二郎(本名・柴田吾郎)を巡る問題が明るみに出たのは、全日空のスキャンダルがロッキード事件絡みで世上を大いに賑わせた2年後、1978年暮れである。
テレビドラマ「白い巨塔」で冷酷な外科医を演じるなどしてきた田宮は誰もが知る大物俳優だったが、若い頃は外交官を目指して学習院大学に通っていた秀才で、当時、実業家という別の顔も持っていた。そうしたところ、その年12月28日に突然、自殺してしまったのである。享年43歳。自らに散弾銃の銃口を向け足の指で引き金を引くという壮絶な死に様だった。
「“クール・ガイ”転身の夢破れ/うつ病と不眠症と/『愛してる』妻へ遺書/またも悲劇“M資金”?/厳しかった――事業の“白い巨塔”」(『読売新聞』1978年12月29日付)
直後から様々に報道されたのが、自殺の背景として「M資金」まがいの融資話があったとの見方だ。田宮のもとに持ち込まれたのは前年11月頃のこととされる。
「実は占領下、アメリカの映画を輸入していた“モーション・ピクチャー・エクスチェンジ・アソシエーション”のプール資金が二千億円ほどある。必要なら骨を折りたい」――。当時の新聞報道によれば、田宮はそう持ち掛けられたのだという。
それからの動きは慌ただしい。資金を受け入れる準備として、田宮は東京・元麻布にあった自宅の隣地を「迎賓館用地」と称し1億円で購入、さらに南麻布のマンション3戸を事務所用に2億4000万円で取得する。巨額資金の使い道として、倒産した無線会社の再建を目論み、さらに投資の機会を得ようと国王特別顧問なる人物とともに南太平洋の島国トンガにも渡っていた。ただ、現実の資金繰りは苦しかったようで、取得した迎賓館用地を担保に差し出して6000万円の融資を受けていた。
借りた先は、仕手筋として知られた実業家で、参議院議員も務める糸山英太郎が経営する会社だった。結局、巨額資金を目にすることはとうとう叶わず、経済的に追い込まれた末、田宮は自死の道を選ぶに至る。
