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慶応大時代に芸能活動を開始
フランキー堺は一九二九年、鹿児島に生まれた。小学校から東京に転居し、麻布中学では小沢昭一や加藤武の同級だった。黄金の顔ぶれではないか。
芸能活動をはじめたのは慶応の大学生時代だ。シックス・レモンズのドラマーとして進駐軍のキャンプをまわり、五四年にはシティ・スリッカーズを結成する。
私がフランキーのファンになったのは、五〇年代の末、テレビで『わが輩ははなばな氏』を見るようになってからだ。妻の花子さんや息子の俊哉君など、実の家族とそろって芝居をするのが、なんだかくすぐったそうだったのを覚えている。あのシリアスなテレビ版『私は貝になりたい』を見たのも、ほぼ同じころだ。
が、『牛乳屋フランキー』(一九五六)、『幕末太陽傳』、『フランキーの宇宙人』(ともに一九五七)といった初期の傑作映画は、あとになって見ている。封切で見たのは『モスラ』(一九六一)からか。
