冬の休暇には、暖かい家でじっくり映画を観たい。たまにはクラシックな名画で、輝くようなスターの魅力に浸ってみたい。そんなときに手元に置きたい芝山幹郎著『スターは楽し 映画で会いたい80人』(電子書籍)から、 若尾文子の項を公開。 (全4回の2回目/1回目を読む)
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傑作が目白押しの六〇年代前半
若尾文子はブルゴーニュのワインだ。それも、時期によって産地の村や畑が異なって見える不思議なブルゴーニュ。デビュー直後は、メルキュレやジヴリ。しばらく経つとヴォルネイやポマール。さらに変化するとクロ・ド・ヴージョやリシュブール。その合間に、エシェゾーが覗いたり、シャルム・シャンベルタンが香ったりする。入ってこない地区といえば、シャブリとボジョレーぐらいか。いや、ボジョレーでも、モルゴンやフルーリーあたりなら少しは……。
いいかえれば、若尾文子は飲み飽きない。飽きないどころか、中毒性が強い。同じ村のワインでも、畑がちがうだけで、顔や香りがずいぶん変わる。年が異なるだけで、気配や体質がまるっきり別物になる。可憐になったり、酸がきれいに出たり、濃厚さを滲ませたり、赤い果実の味がしたり、陰翳を帯びたり、タバコや落葉の香りを漂わせたり、妖艶に底光りしたり。となると、同じ村の同じ畑の同じ年のボトルでも、何本かまとめて買いたくなる。毎日とはいわぬにせよ、毎月、もしくは隔週で飲んで、微妙な差異を楽しめるからだ。少なくとも私は、若尾文子が出ている映画を、そんな感じで見てきた。
とくに繰り返して見るのは、一九六〇年代前半の作品群だ。六一年には、『女は二度生まれる』や『妻は告白する』があった。六二年には『雁の寺』や『爛』。そのあとも『越前竹人形』(一九六三)、『「女の小箱」より・夫が見た』(一九六四)、『清作の妻』(一九六五)と傑作が目白押しだ。この時期、彼女は五年間で四十二本の映画に出演し、数少ない例外を除いて観客の官能を直撃しつづけた。驚くべき速度と密度だ。質量ともに充実している。


