解釈が分かれる可能性もある作劇は「不親切」か「スバラシ」か

 これほどまでに言葉で語らない作劇は、朝ドラにおいて新たな挑戦といえる。『ばけばけ』では人物の感情の動きや、その人の来し方が、言外にこめられていることが多い。だから画面から目を離さずに観ていないと、人物の心中を読み取ることができない。こうした作劇を「不親切」と取るか、「スバラシ」と取るか、視聴者の中でも意見の分かれるところだろう。

 本稿の前編でも述べたが、『ばけばけ』はコミュニケーションの物語であり、怪談という、目に見えない何かに思いを馳せる「お話」をフックとして、自分とは属性も背景も異なる他者の思いを想像することの大切さを描いている。もちろん制作側はそれを殊更言い立てるわけではないし、視聴者に押し付けたりはしない。「想像することを、大切にしてくれたらいいな」という願いが滲み出ている、という言い方が適切かもしれない。

主演の髙石あかりと、ヘブン役のトミー・バストウ 公式Xより

 「想像すること」が本作の重大なテーマだとすれば、こうしたノンバーバルな作劇になることは必然だろう。しかしそれゆえに、細部の映像表現に関して受け手の解釈が分かれることが往々にしてある(あくまでも「細部」に関して、である。物語の骨子、大筋のところは多くの視聴者にわかりやすい筋立てにしてある)。

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 たとえば第59回のラストシーン。トキがヘブンに怪談を何遍も語ったあと、丑三つ時になって帰宅し、残されたヘブンは「日本滞在記」のラストピースである怪談の項を夢中で執筆している。と、ヘブンは手を止めて振り向き、先ほどまでトキが座っていた畳を見つめる。

髙石あかり 「ばけばけ」公式Xより

 このシーンが何を意味するのか。筆者は、「無自覚ながらヘブンの中でトキの存在が大きくなり始めていて、ついさっきまでそこにいたのにも関わらず、もうトキの不在感を噛み締めている」「ヘブン自身も理由はわからないが、なぜだかふり向きたくなった」と解釈した。

 しかし、視聴者によるネットの感想を見ていると、「怪談の世界に没頭するあまり、もののけ的な何かの気配を感じてふり向いた」という解釈も散見された。「なるほど、その線もあるのか」と思わされた。おそらく作り手はどちらでも、あるいはまた別の解釈でもかまわないと思って作っているのだろう。解釈は、見る人に委ねる。『ばけばけ』はそういうドラマだ。