12月30日~31日、東京ビッグサイトで「コミックマーケット107」が開催される。第1回の開催から今回で50周年を迎えるコミケだが、これまでさまざまな“騒動”があった。約40年前からコミケをみてきたライターの藤山哲人氏が、その歴史を振り返る。

例年コミケが開催される東京国際展示場(東京ビッグサイト)。1989年からの一時期は幕張メッセで開催されている(写真:soraneko/イメージマート)

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 すべては1975年12月21日「虎ノ門日本消防会館会議室」からはじまる。32サークル(主催含む)、参加者は推定700人、その90%は女子中高生の少女マンガファン。自分が描いたマンガのサイドストーリーをつづった小説やイラスト、マンガをまとめた同人誌を持ち込み、一般の参加者たちとワイワイ楽しむコミュニティ。これが第1回のコミックマーケット(以下、コミケ)だ。

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 時を経て今冬のコミケは、通算で107回目となり50周年を迎える。最盛期は東京ビッグサイトを3万2000サークル、参加者75万人(4日間の累計)が埋めたほど。その規模は日本一乗降客が多いJR東日本の新宿駅の66万人/日より10万人も多いという盛況ぶりだ。

 この50年間にはさまざまな“事件”があった。その多くが令和では考えられない騒動だが、今でも続くコミケの風習の起源がそこにある。

「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」が火をつけたアニメブーム

 黎明期のコミケは市民会館のような場所を借り、仲間内で開催されていた小さなイベントだった。第1回の収支決算報告によれば、会場費やサークル数分の受付手数料などの支出は4万6600円、参加費などの収入は5万1600円という規模だ。

コミケ1のサークル配置図。これは当日の手書き。数万サークルが参加する現在では、当日に配置するなんてありえない!(『コミックマーケットファイル30’s』〔コミケット〕より引用)

 回を重ねるごとに規模は大きくなり、1977年~1981年に掛けては劇場版3部作「宇宙戦艦ヤマト」や劇場版2部作「銀河鉄道999」が公開されアニメブームが一気に開花する。それと同時にコミケもアニメファンの知るところとなり1981年の「コミケ18」(会場は横浜産業貿易ホール)では512サークル、参加者1万人を超える。6年間で14倍の参加者だ! 

 同人誌にエロが芽吹き始めたのもこの頃で、「同人誌ではアニメのヒロインの裸が見られる!」と、男性を中心に話題になり始めた。ただ内輪では直接的な表現を嫌い、「Men用本」または「面妖本」という隠語が定着。「拙者の戦利品はヤマトの面妖本でござる!」など電車で会話していても一般の方から眉をひそめられないように、という配慮があった。

 また、現在もコミケで高い人気を誇るボーイズラブ(BL)ものは当時「やおい本」(JUNE系)と、呼ばれていた。登場は “BLブーム”のずっと前、むしろ「面妖本」よりも歴史は長い。

 ちなみに令和になっても女性読者の友情を一瞬で破壊する「カップリング表記」(受け攻めの明示)は、この頃からあり「A(攻め)×B(受け)」が平和維持のため表紙に明記されている。順番を間違えると、きのこたけのこ論争以上にヤバイ雰囲気になる。