戦後80年を迎えた2025年が今、終わろうとしている。戦争を直接知る世代が少なくなっていく中で、当時の記憶をどう継承していくかは今後の大きな課題だ。
大阪市在住のホリーニョさん(@horinyo)は、沖縄戦に巻き込まれた住民たちの白黒写真をカラー化してSNSに投稿し続けている。平日は会社員として働きながら、今年2月に出版した『カラー化写真で見る沖縄』(ボーダーインク)を広めるために各地を巡る彼は、自らの活動に大きな葛藤を抱えていた時期があったという。
プロパガンダの可能性を知り、問われた覚悟
ホリーニョさんがカラー化する写真は、女性や子どもが写っているものが多い。「自分たちと変わらないふつうの生活をしていた人々も戦争に巻き込まれたと知って、共感するところから興味を持ってほしい」との思いからだ。しかし、活動を続けるうちに葛藤が生まれた。
沖縄県公文書館で見つけた1枚の写真には、米軍に傷を手当される女性が写っていた。最初は「助かったんだな、よかった」と思ったホリーニョさんだったが、キャプションを読むと、彼女は米軍上陸から数日後に自ら首を切って自殺しようとしたと書かれていた。
「治療をしているのも、写真を撮っているのも米軍です。『米軍は捕虜に対して丁寧に治療を行っている』とアピールする、プロパガンダ的な意図が含まれる可能性が高い写真だなと思いました。そういうことが沖縄戦の写真をカラー化するうちにわかるようになっていって」
印象的なのは、カメラを睨みつけるような女性の視線だ。
「この女性から『あなたは、本当に覚悟があってやっていますか?』と問われてるようにも感じました」
ホリーニョさんがカラー化している1945年当時の沖縄の写真は、ほとんどが米軍が撮ったものだ。ただ写真をカラー化して見せるだけではなく、そういった背景も合わせて伝えていかなければいけないと、改めて思い知った経験だった。
『カラー化写真で見る沖縄』を出版後、訪れた沖縄では「もっと残酷な写真もカラー化するべきではないか?」との意見を受けた一方で、「あの写真集でさえ、当時の沖縄戦体験者の方は見られないよ」という感想も届いた。
表紙になっている女性の写真は、1945年の沖縄で子どもを背負って逃げている姿を米軍が写したものだ。そんな表紙ですら辛くて見られない方もいるのだと、その時知った。直接的な暴力の瞬間を写した写真でなくても、当時の状況を鑑みると「残酷ではない」写真だとは決して言い切れないのだ。
ホリーニョさんは、写真をカラー化して伝えることの重みを実感しながら、多くの人に戦争の記憶を「自分ごと」として届けるため、活動を続けている。
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