「メイク・ア・ウィッシュ・ジャパン オブ ジャパン」(MAWJ)の初代事務局長として、約3000人の難病の子どもたちの夢を叶えてきた大野寿子さん。そんな大野さんは、2024年6月、肝内胆管がんにより「余命1カ月」を宣告される。

 そんな大野さんの最期の日々に密着した感涙のノンフィクション『かなえびと 大野寿子が余命1カ月に懸けた夢』(文藝春秋)が好評発売中。

 今回は、過去に大野さんの尽力で夢を実現し、その後、難病を克服することができた吉野やよいさんのエピソードを紹介する。末期がんで闘病中の大野さんのもとを吉野さんがお見舞いに訪れる場面から始まる。

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パリ五輪開催中のお見舞い

(2024年8月)3日は土曜日である。朝から気温はぐんぐん上がり、正午ごろには31度を超えた。

 2024年は観測史上最も暑い夏である。パリでは五輪が開催され、連日熱戦が繰り広げられていた。

 猛烈な暑さにもかかわらずこの日、ウィッシュ・チャイルドやファミリー(過去にMAWJに夢を叶えてもらった子どもたちや家族)、それを支援したボランティアら約20人が続々とやってきた。

 吉野やよいは夫の達(とおる)、3歳9カ月になる長男柊(しゅう)と一緒だった。(大野)寿子は言った。

「柊ちゃん、大きくなったね」

 吉野はヒマワリの形をしたカードを手渡した。

〈メイクアウィッシュという希望があり、乗り越えられた闘病生活!! 感謝しかありません 出会った日、病室を訪問した大野さんの笑顔は心から嬉しくて、まるで病室から出たような気持ちになったのを覚えています〉

大野寿子さん ©文藝春秋

ランドセルを背負う背中に激痛が……

 元号が平成になったばかりの1989年3月、吉野やよいは那覇市に生まれた。5人兄妹の末っ子だ。小学校5年生のとき、ランドセルを背負おうとすると、肩から背中にかけて激痛が走った。

 母は何度も違う病院に連れていった。その度、医師から言われるのだ。

「成長期の筋肉痛です」

 もらってきた湿布薬を貼り、痛み止めを飲んでも症状は改善しない。しばらくすると胸も痛くなった。母は乳がんを疑い、病院に駆けこんだ。医師は笑って言った。

「小学校5年生で乳がんにはなりません」

 何をしても痛みは治まらない。結局、細胞組織を福岡の大学病院に送り、ようやく病名がわかった。小児がんの一種であるユーイング肉腫である。大腿骨や脊椎などに腫瘍ができ、多くの場合、10代で発症する。国立がん研究センターによると、国内での発症は年間50例程度だ。

 吉野はまだ10歳である。その年の冬、東京の病院に移り、抗がん剤治療を受けた。死を意識し、遺言を書いた。

〈お年玉の5万円はおかしのたなにあります。(飼っていた秋田犬)レオを大事に育ててください。お母さん、おいしいごはんをありがとう〉

母と一緒に写る10歳のころの吉野さん(本人提供)