「ちゃんと帰って来たよ。帰って来たんだよ」

 頭髪がぬけた。治療はつらく、厳しかった。

 それでも難病の子は他者を思いやる。吉野は母にこう語っている。

「やよい、生きるの、10歳でもう十分だよ。こんなに苦しんでいる私の姿を見ているのは、お母さんもつらいでしょう」

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 その年の終わり、やよいの体は抗がん剤に強く反応した。集中治療室に運ばれ、麻酔で眠らされる。意識が戻らず、危篤になる。目を覚ましたのは約2カ月後だった。

 吉野は声が出なかった。母は「やよい、やよい」と繰り返し、涙を流した。紙にペンを走らせ、娘に見せる。

〈1たす1 わかりますか〉

 声の出ない吉野は心の中で叫んだ。

「お母さんのこと、忘れていないよ。自分のこと、ちゃんと覚えているよ。やよい、何も忘れていないよ。ちゃんと帰ってきたよ。帰ってきたんだよ」

 いったん回復したものの12歳で再発する。MAWJを知ったのはそのときだった。

「米女優のジュリア・ロバーツに会いたい」

 スケジュールが合わず、夢はかなわなかった。

 寿子に会ったのもそのころである。病室に入ってきたときの満面の笑みが印象に残った。病院ではどうしても、治療に関する話が多くなりがちだ。寿子との会話は違った。

「どんな夢をかなえたいの?」

 普段とはかけ離れた話題を振られ、わくわくした。吉野はそのころを回想する。

「闘病中に前向きな気持ちになれ、生きる活力が湧いたんです」

 がんのサバイバー(生還者)となって大学に入ったとき、MAWJのアレンジで、もう一つの夢だった「本場(米ロサンゼルス)のディズニーランドに行きたい」をかなえてもらった。後遺症に苦しみながらも結婚し、子を授かった。

病気を克服し大人になった吉野さん(左から2人目)。大野さん(中央)と一緒に(本人提供)

23年前と変わらない恩人の笑顔

 精神を解放してくれた寿子が今、ベッドで横になっている。腕や脚はすっかり細くなった。それでも笑顔は23年前と変わらない。

 吉野が一緒に写真を撮ろうと声をかけると、寿子はベッドの手すりを握って「よいしょ」と体を起こした。横に座った吉野の肩に腕をのせ、笑顔をみせた。吉野は肩を抱かれながら思った。

「この時間が止まればいいのに……」

「最期のプロジェクト」で配っていた『メイク・ア・ウィッシュ 夢の実現が人生を変えた』を購入したいと申し出ると、寿子はこう返した。

「何を言っているの。プレゼントさせてもらうわ。子どもたちのことをみんなに伝えていってね」

 寿子は自著にサインをして手渡した。

最初から記事を読む 「会いたい」「目の前で歌ってほしい」世界で23例しかない難病を発症した少女が、「X JAPAN」のhideに抱いた熱烈な想い