先日、東京・歌舞伎町の「トー横」で「決闘」により相手を死亡させたとして男性が逮捕される事件が起き、明治時代に定められた「決闘罪」で警視庁は男を逮捕した。当事者が「ヤンキー」だったかどうかはわからないものの、「ヤンキー文化」は、こうした犯罪とともにあったのではないか。

それなのに、なぜ、こうも「ヤンキー文化」を語りたがり、そして、事実、これだけ語られているのか。それは、いまの「ヤンキー文化」は、実は、危うさから遠くなっているからである。

昨今、日本における治安上の最大の懸念は「トクリュウ」と呼ばれる匿名・流動型犯罪グループによる特殊詐欺等の犯罪であろう。少なくとも、警察庁にとっては、「警察白書」で多くのページ数を割く重点課題である(『令和5年版 警察白書』)。

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「トクリュウ」には、「ヤンキー」出身者もいるのかもしれない。けれども、たとえば、振り込め詐欺の「受け子」とされる現金の受け取り役が、取り締まる側にいた人間だったケースもある(〈「受け子」になった元検察事務官の女性 「古巣」検事との攻防〉朝日新聞デジタル、2023年12月9日配信)。

「ワル」だけど「愛すべき」存在

「反社」(反社会的勢力)や「半グレ」といった、犯罪のプロたちが牛耳る世界で手先となって使い捨てられるのは、一見すると「ヤンキー」とは無縁の人間である事例が少なくない。

むろん、厳密に、どこまでが「ヤンキー」なのかどうか、線引きは難しい。犯罪者になるのが、「ヤンキー」由来なのかそうではないのかもまた、数字で裏付けるのは無理だろう。

とはいえ、「ラヴ上等」の出演者にせよ、「荒れる成人式」の若者たちにせよ、そのほとんどは「トクリュウ」のメンバーとは考えにくい。

彼ら・彼女たちは「ワル」だったのかもしれないが、(少なくとも現在では)見ず知らずの人を巻き込むような罪を犯しそうにはない。「バカやってるけど純情」や「やんちゃだけど真っ直ぐ」、「ワルだけど情に篤い」といった、ヤンキーキャラの二面性を地で行く人たちであり、いわば、愛すべき存在ではないか。