2024年に学習院大学文学部日本語日本文学科を卒業後、日本赤十字社の嘱託職員として勤務する一方で、成年皇族としてご活動の幅を広げてこられた愛子さま。そうした歩みの知られざる一面やお人柄について、愛子さまを知る人々に話を聞いた。
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登校困難、激ヤセ時代
女性週刊誌では近年、愛子さまの特集記事を載せると売れ行きが上々になるという。宮内庁の公式インスタグラムでも、愛子さまが写った投稿には「いいね!」が集まる。
皇室担当記者の佐藤あさ子さんは、愛子さまの国民的人気は成年行事でのローブデコルテ姿で火がつき、大学卒業からご活動が活発化するにつれ、ますます高まってきたと語る。
「愛子さまは小中学校時代に登校困難や激ヤセという試練に直面された際も、お姿を見せてこられました。国民も皆、当時を知っていますし、成長を見てきたような気持ちになり感慨ひとしおなのだと思います」
2001年12月1日、愛子さまは宮内庁病院で誕生された。雅子さまのご懐妊からご出産まで東宮職御用掛として担当した医師の堤治さんは、24年前をこう懐かしむ。
「愛子さまはお生まれになってすぐ元気な産声を上げられて、その声が病院中に響き渡るほどでした」
記者の佐藤さんは、愛子さまの学習院初等科の入学式から取材を始めた。幼い愛子さまは報道陣の前でも嬉しそうにニコニコされていた。秋には登校時に落ち葉を蹴りながら歩くご様子を見かけ、子どもは皆同じだなと思ったという。
「ですので、2年生から登校困難になるとは思いもよりませんでした」
初等科時代の同級生は、当時の愛子さまを「穏やかで控えめな印象でした」と語る。2年生の頃、愛子さまが登校困難になり、男子児童数人による他の児童たちへの乱暴な振る舞いが原因だと宮内庁が発表したことについては「たしかにそのような事実はあったと記憶しています」とだけ明かした。
愛子さまはしばらく登校時に雅子さまの付き添いが必要になったが、4年生の頃には困難を乗り越えた。この同級生の両親によると、同校は児童の体調や事情に応じて保護者の協力を得ながら支える校風があり、愛子さまへの配慮は特別なものではないと受け止められていたという。
同級生はまた、愛子さまが周囲に自然に溶け込んで、多くの児童から慕われていたと振り返った。
