娼妓の遺書も男の字であった

 大正15年(1926)11月27日未明、二本木で無理心中事件があった。一流の妓楼が並ぶ二本木本通りのある妓楼で21歳の娼妓が登楼客に絞殺された。朝になっても娼妓の応答がないので、隣の部屋にいた同僚が部屋を覗いた。娼妓は手拭いで首を絞められ、寝具から半身を乗り出したまま絶命していた。枕元には遺書があり、客の姿は消えていた。

現在の二本木に位置する「二本木公園」(2026年撮影)©文藝春秋

 間もなく飽託郡白坪村(現熊本市西区蓮台寺)の踏切近くで轢断された男の死体が見つかった。轢死体はくだんの客と判断された。殺された娼妓はこの月で前借金も返済し、晴れて自由の身となる予定で、早々に親戚が引き取りに来るはずだった。彼女もそれを楽しみにしていた。

写真はイメージ ©AFLO

 男はこの年の7月から登楼していたが、これまで二、三回通っただけで深い関係ではなく、心中する間柄ではなかった。事件を報じた九州日日新聞(大正15年〈1926〉11月28日)によれば男は前科者で、娼妓に逃走を持ちかけるも拒否され、逆上して絞殺に及んだとのことだった。娼妓の遺書も男の字であった。

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 白川鉄橋を走る列車に22歳の商店の番頭と22歳の娼妓が飛び込み、死亡した事件もあった。娼妓は2年前、某店に抱えられたが、番頭の男とねんごろになった。男は勤め先でも忠実に働き、主人も目をかけていたが、ある日悪友に誘われて遊廓に行ったことが彼の運命を変えた。娼妓に病みつきとなった男は月に二回は登楼するようになった。娼妓は温和な性格で楼主や仲居、同僚からの評判も良かった。やがて男の放蕩ぶりが店の主人の知るところとなって厳しく叱責されたが、彼女への思いは止まず、いつしか借金で首が回らなくなり、情死を選ぶしかなくなった。

 当日の夜9時過ぎ、二人は線路のそばに下駄を揃え、列車に飛び込んだ。男は即死、女は左右の大腿部を轢かれ、死にきれず苦し紛れに線路外に出たが三時間後に死亡した。遺書は二人とも残していなかった(「九州日日新聞」明治42年〈1909〉7月22日)。