天涯孤独の娼妓の自殺

 軍人と娼妓の心中もあった。

 熊本駅の西側に万日山と呼ばれる丘陵がある。標高は138mしかないが、現在は熊本市の繁華街が一望できる見晴らしの良い公園が整備されている。この山で明治35年(1902)11月、軍曹と娼妓が心中した。男は歩兵第一三連隊の20代の軍曹。女は2年前から二本木で娼妓をしており、当時23歳だった。彼女は軍曹の外套を着、絹のハンカチで首を絞められ絶命していた。男は軍服姿で松の木に首を吊っていた。娼妓のもとへ3月から足繫く通っていた男は軍隊では成績も良かったが、悪所通いを覚えてから身を持ち崩し、素行も悪くなって、自分より下級の者が昇進するようになった。妓楼にも40数円を滞納、為替貯金からも2、30円を引き出していた。

写真はイメージ ©AFLO

 娼妓は勤めを大事にし、客も多かったという。娼妓の書き置きが3通、部屋に残されていたが、楼主、両親に宛てたもので、死を匂わすことは書かれていなかった。軍曹の書き置きも6通あり、中隊長、隊の同僚へのもの、弟、友人宛のものだった。そこには女色におぼれて人生を誤ったことを後悔している内容が記されていた。ただ中隊長宛の文章は筆跡も乱れ、精神が錯乱していることが窺われ、友人宛ての文面も意味が分かりにくく、正常な判断力を失っていたと思われる(「九州日日新聞」明治35年〈1902〉12月2日)。

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 自殺もあった。某楼の36歳の娼妓はかつて店で評判をとったが、今では馴染み客も減って落ち目となっていた。私生児として生まれ、もらわれた家がまた酷かったので苦界に身を沈めてしまった。原籍もわからず、親兄弟もおらず天涯孤独の身だった。その後重い病に罹り、部屋で寝たきりとなって日ごとに痩せていった。楼主も心配して看護人をつけてくれたが、快復の見込みもなかったため、とうとう神経症になり、夜更けに看護人の目を盗んで井戸に飛び込んだ。井戸のそばに3通の書き置きがあったが、1通は楼主へのお礼で、残りの2通は同僚への感謝を記したものだったという(明治33年〈1900〉5月26日)。

次の記事に続く 「何でも言うといけないですからねえ。だから今までは黙っておりました。だけど今回だけは」…熊本県の巨大遊廓で育った老女(90)が重い口を開いて明かした“故郷から売られてきた少女たち”との“切ない交友”

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