明治から昭和にかけ、軍都・熊本には「二本木遊廓」と呼ばれる巨大な色街があった。当時の写真館には娼妓たちのブロマイドが残されている。着物を着こなし、気品すら漂わせている彼女たち。だが、その華やかな姿の裏側には……。

 ここでは、ノンフィクション作家の澤宮優氏による『かつてこの町に巨大遊廓があった 熊本・二本木の歴史と記憶をたずねて』(忘羊社)の一部を抜粋。貴重な古写真と共に、かつてこの町にあった遊廓の記憶を紐解く。

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明治の娼妓のブロマイド

 新町の冨重写真所では、明治時代、娼妓らのブロマイド写真を作っていた。坪井川に面した場所に、今も往時の社屋が残る。ブロマイドは娼妓が馴染みの客に渡していたものである。

冨重写真所(2026年撮影)©文藝春秋

 当時のブロマイドの中には、東雲楼で一番の美人と言われた「しののめ(東雲)」という娼妓の写真が残されている。薄い色の着物に濃いめの帯をつけ、丸髷を結っている。細面で、確かに整った顔立ちだが、無表情でどこか淋しげである。

東雲楼一の美人と言われた「しののめ(東雲)」のブロマイド(冨重写真所蔵)

 また、当時の東雲楼も確認できる。水前寺公園を彷彿させる大庭園と松の木々、大きな築山、背後には三階建ての大楼が見える。

 娼妓らの写真については、『写真の先駆者 冨重利平作品集』(荒木精之編、昭和52年〈1977〉)に詳しい。そこには「粋すじの人達」という見出しで以下のように記されている。

 明治の熊本は鉄道唱歌に歌われるように、名実共に「九州一の大都会」であった。六師団が代表する軍都として、五高が示す文教の都、さらに官公庁の九州統轄の中心として第一等の都市であった。この社交の中心となる花柳界(筆者注:芸妓や娼妓の世界)も大きな役割をもっていた