久米宏さん、そして『ニュースステーション』から学んだこと。

 1998年から番組終了までの6年間、専属ディレクターとして主にニュースや特集を担当した。少年事件、犯罪被害者、死刑制度、カルト宗教、未解決事件……全力で取材した特集を本番で久米さんがどんなコメントするか、毎回が真剣勝負だった。

久米宏さん ©文藝春秋

死刑囚の葬儀取材

 特集を放送する際は、事前に久米さんの試写が行われた。

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 VTRを見終わったあと、久米さんがどんな感想を言うのか、どんな指摘をするのか、緊張の瞬間だ。

 あるときは「これは視聴者がわからない」。

 あるときは「このシーンはなくてもいいんじゃないか」。

 事前に想定問答を頭に描いていたが、いつも想像もしていない角度からの指摘だった。そのすべてが、納得いくものだった。

 ボクが取材を続けていたある死刑囚が死刑執行された。死刑囚の葬儀を取材した。棺の中をみると、その死に顔はまるで笑っているかのように穏やかだった。本当に死んだんだ、死刑執行とはこういうことなんだと実感した。

 国家が人を殺す究極の刑罰にもかかわらず、新聞もテレビも機械的に報じる現状に、ボクはずっと違和感を覚えていた。

「だって、人の命が奪われているだろう、なんでこんな無関心なんだ……」

 死刑の実態が明らかになってこそ制度の是非が議論されるはずなのに、そのときの政府は執行の事実すらも隠していた。メディアはもっと死刑の現実を伝えるべきだ、そんな思いで特集をつくった。

 試写した時点でのVTRには、葬儀で撮影した死刑囚の死に顔がはっきりと映っていた。試写後、長い沈黙が続いた。

 久米さんは死に顔の是非は問わず、その映像を使った理由をボクに聞いた。最後に「死刑囚の死に顔を放送する理由のコメントを考えておいて」とつぶやくように言った。

 その後、廊下でプロデューサーに呼び止められ、死に顔をカットするよう指示された。

 テレビでは死体はタブーだ。まして死刑囚のそれなんて、批判が来るのは必至だ。もし放送したら番組がもたない。そんな判断だった。