被害者参加をすると、被害者参加人や被害者参加弁護士は「被害者論告」という被害者なりの「求刑」をすることができます。検察官の求刑のように法的効力はありませんが、気持ちを裁判官に伝えることや、自分の罪を矮小化しがちな被告人に対し、被害者は決して許していないという強い意思を直接伝える意味があります。
この事件の被害者論告のほとんどは、高橋弁護士と私が担当しましたが、最後の「被告人には死刑を求刑します」という部分だけ、加藤さんが述べました。そこだけは自分で言いたい、という加藤さんからの申出に、私たちも賛成しました。
訴訟能力と責任能力
2018年1月下旬から始まった裁判員裁判は、3月9日、第13回期日に死刑判決が言い渡されました。この事件の争点は、ジョナタンの責任能力だけでしたが、責任能力がないと判断されれば6人殺害しても無罪の可能性があったのです。死刑判決が出て、加藤さんも私もホッと胸をなでおろしました。
ところが、ジョナタン側が控訴した東京高裁での裁判では、犯行時の心神耗弱が認定され「無期懲役」の判決でした。その日、私はインフルエンザのため自宅で寝ていましたが、そのような判決は全く予想していなかったので、ネットに流れたニュースを見て本当に驚きました。控訴審の争点は、犯行時の責任能力ではなく、裁判時の「訴訟能力」だったからです。
訴訟能力というのは、裁判で被告人が自分の置かれた立場を理解し、適切に防御権を行使するための能力です。ジョナタンに精神障害があることは確かですが、検察官の立証により、訴訟能力を欠くような状態ではないと確信していました。
ところが、フタを開けてみると、訴訟能力ではなく、争点ではない「責任能力」に問題があるという判断で死刑から無期懲役に減刑されたのです。控訴審では、「訴訟能力以外の訴訟活動はしてはならない」と言われていたにもかかわらず、不意打ちのようなこの判決に、加藤さんは強い怒りと失望感に包まれた、とあとから聞きました。