「あんな殺され方して…諦めろと言うんですか!」
私はインフルエンザの治癒後も体調が万全ではありませんでしたが、寝ている場合ではないと思い、すぐに加藤さんと一緒に東京高検に行き、担当検事と意見交換して何が何でも上告するよう訴えました。しかし、東京高検の判断は、「上告しない」というものでした。担当検事からは「上告理由がない」ということしか説明されませんでした。
「あなたにも子どもがいますよね? あんな殺され方して、性的なことまでされて、それで諦めろと言うんですか!」と大人しい加藤さんが大声で検事を怒鳴りつけました。そんな加藤さんを見たのは初めてでした。私と高橋弁護士は、判例や論文を調べ、法的観点から「上告すべきだし、できるはずだ」という意見を述べ、加藤さんを援護射撃しました。
しかし、結局検察は上告せず、死刑判決は幻となりました。東京高裁の無期懲役判決と、被害者の味方と信じていた検察が上告をしなかったという事実が、加藤さんに尋常ならざる打撃を与えました。このような事件の遺族になり、PTSDを発症していた加藤さんの精神状態はさらに悪化しました。
国家賠償請求はまず勝てない
刑事事件の控訴審が行われている間に、加藤さんは埼玉県を相手取り、国家賠償請求訴訟を提起しました。私は刑事事件に続き、この訴訟の代理人にもなりました。
国家賠償請求というのは、原告側の主張がほぼ認められる可能性がない訴訟類型です。ただ、加藤さんはこの事件で、埼玉県警が不審人物としてジョナタンを警察署に任意同行していたにもかかわらず、目を離した隙に逃走され、その直後に明らかにジョナタンと思われる男が3件連続して住居侵入事件を起こしたこと、さらに夫婦が強盗殺人事件の被害者として発見され、「中東風の男」(刑事事件の供述調書より)が目撃されるなどしていてまだ逃走しているのに、そういったことを具体的に広報しなかったことに強い憤りを抱いていました。
そのような男が逃走していることを事前に知っていたら、用心深い加藤さんの妻は、戸締りを厳重にしたり、加藤さんの実家に一時避難したりしたはずだと思われたからです。
国家賠償請求はまず勝てない、ということは加藤さんに話していました。しかし、「できることは何でもやりたい」という加藤さんのために、私は高橋弁護士と一緒に刑事裁判の証拠だけでなく、この事件に関する新聞記事や警察の広報体制に関する通達などを片っ端から調べていき、突破口を探し、「勝てるかもしれない」という感触を持ちました。
それを加藤さんに説明すると、「その可能性に賭けたい」ということで、また一緒に闘うことになったのです。
予想はしていましたが、かなり大変な訴訟になりました。提訴から第一審の判決が出るまで、約3年半かかり、関係者5人に対する尋問が行われました。尋問対象者には、当時の警察署長や県警刑事部長まで含まれ、私たちとしてはかなり追い込んだという手応えを感じた尋問でした。