高齢者が晩年に手にする自由な時間とどう向き合うべきか。精神科医の和田秀樹さんは「いろんな不自由に耐えながらなんとか70代を迎え、手にした自由はそれなりに払った犠牲の代償としての自由だ。ところが『死にたくない』という生への執着により、不自由を受け容れてしまっては本末転倒だ」という――。

※本稿は、和田秀樹『死ぬのも楽しみ』(廣済堂出版)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/Jacob Wackerhausen ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Jacob Wackerhausen

「死ぬのも楽しみ」とはとても思えない

死が近づく年齢になれば、無欲になっていくというのはごく自然なことです。

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いろいろな身体機能も衰えてくると、欲を持っても仕方ありません。自分が好きなことや、やりたいことができれば、それで満足するようになります。

つまり、普通に老いていけば、穏やかな気持ちのままで死ぬことができるというのが、たくさんの高齢者の死を見てきた私の実感になります。

ただ、自分がこのまま死ぬことへの苛立ちや怒りに包まれる人もいます。後悔や周囲への恨みすら抱く人もいます。かつての成功や絶頂期を忘れられない人です。

たとえば、40代50代で事業が成功し、大勢の部下に囲まれて世間の注目を集めたような人が、晩年、事業に失敗して周囲には人がいなくなり、世の中からもただの老人とみなされているようなケースです。

誰も過去の成功を知らなければ自慢しても始まりません。50代の頃、自分が従えた大勢の部下も「終わった人」には近づきません。かつての成功者ほど、晩年は不幸になるケースが多いのです。

そういう人は、「死ぬのも楽しみ」とはとても思えないでしょう。いまの自分の境遇が不満で毎日を不幸に感じるような人は、「このまま死ぬのか」と思えばジタバタするしかありません。幸福感のかけらもない高齢期は、ひたすら死を恐れる日々になっていきます。

高齢期は、無欲だからこそ大きな自由が手に入る

そういう意味では、決して慰(なぐさ)めではなく、平凡な人生を送った人のほうが自然に無欲になって穏やかに老いていくということにもなります。