たとえば、その国の政権を批判しただけでたちまち投獄されるような国です。
順番としてまず、その人物の周囲に監視の目が光ります。言動や行動範囲、交流関係をチェックするためです。
つぎに自宅に軟禁状態にされ、それから投獄です。
こうしてみると、不自由な国でも最終的に奪われるのが移動の自由だというのがわかります。
ところが、民主主義国では思想や言論の自由はなかなか規制できませんが、移動の自由は国がやろうと思えば段階的に制限できるのです。
そのかわり、国民の反発も強いです。目に見える自由の制限ですから国も慎重になります。コロナ禍にあって、世界各国で都市部や特定エリアのロックダウンが行われましたが、日本は法的な規制を伴うロックダウンまでは行っていません。これは憲法上の制約があるからですが、むしろその必要がなかったからとも言われました。
つまり、自由の制限に猛反発するヨーロッパやアメリカでは自粛要請が何の効果も持たないのに比べて、不自由を強いられても「仕方ない」と従う日本人には外出や移動の自粛要請でも大きな効果があると思われたからでしょう。
事実、先ほどのアンケート結果にも示されていたように、ストレスを感じながらも大部分の日本人は不自由を受け容れたし、従わない人間に対して非難の目さえ向けたのです。
ちなみに、交通違反で捕まると罰金のほかに違反点数が科せられます。点数が増えてくると免停になります。違反の種類によっては一発で免停です。
そのことを一般のドライバーは法律だから仕方ないと受け止めていますが、罰金はともかく、免停となると車の運転ができなくなって移動の自由が奪われます。
留学した頃に知ったのですが、アメリカはスピード違反でも高額の罰金が科せられますが、違反点数は科せられません。
なるべくなら移動の自由まで妨げないような法律にしているのでしょう。
「自分がいま自由になったこと」に気がつかないという不幸
自由を制限されることに対して、なぜ日本人は鷹揚というか我慢強いのかと考えたときに、私が思い当たるのは戦後の日本の歩みです。もっとも戦前まで遡(さかのぼ)っても同じですが、日本は一度も自分たちの力で戦って自由を勝ち取ったことのない国なのです。