もちろん、平凡な人生を送った人にもいい思い出があります。仕事に夢中になれた時期もあるし、家庭を持ったり子どもが生まれたり、あるいは念願のマイホームを手に入れたときのように幸福感に包まれた時期があるはずです。
そういう幸福だった過去の思い出に浸って、高齢期を過ごしましょうとは言いません。
なぜなら、いま思い出せば幸せな日々だったとしても、その当時はそれなりにつらいことや不自由を感じたこともあったからです。仕事はつねに結果が伴っていたわけではなく、子どもの教育費や家のローンがのしかかってきた時期もあったことでしょう。
つらくても会社を辞めるわけにはいかず、我慢して定年まで勤め上げた男性がほとんどだと思います。いまの時代ほど働く女性は多くありませんでしたが、子育てに追われた母親業や主婦業にも嫌気の差した時期があったはずです。
つまり、私が言いたいのは、成功体験の有無はどうであれ、60代までの人生には自由がなかったということです。
70代の半ばを過ぎて、どんなに老いの実感が増してきても欲がなくなってきても、そこで初めて「それまではあきらめていた自由」が労せず手に入ったということです。
死を恐れるあまり、せっかくの自由を手放す人がいる
ところが、せっかく手に入った自由に気がつかない人が大勢います。
定年退職した直後の60代なら「さあ、自由になったぞ」と大きく背伸びできますが、70代後半、80代と老いが進むにつれて、自分が自由だということを忘れてしまう人が増えてくるような気がします。
その大きな原因のひとつが、「死にたくない」という生への執着です。
とにかく病気を予防する、病気になったら徹底的に治療するといった「健康」へのこだわりがどんどん強くなってくる状態です。
病気を抱えていても、毎日、幸せに生きていけるなら健康ではないか、つまり、グレーゾーンでよしとする考え方がなかなかできなくなって、少しの異常でも完璧に排除しようとします。すると、日常生活の自由度は小さくなります。