――中学校では、なにか部活をやっていたりは?
竹中 一応、陸上部に入っていました。といっても、トレーニングする時間が欲しくて入ったんです。競技は砲丸投げを選んで、砂場で鉄棒と砲丸投げをずっとやってました。
――陸上部でアームレスリングに向けたトレーニングをしていたってことですか。
竹中 そのスタンスでやってましたね。顧問の先生にも「トレーニングだけしに来ました」って言ってましたけど、特に何も言われなかったです。
――周りの反応はどうでしたか? 「女子なのに腕相撲なんかしちゃって」みたいな。
竹中 なかったですね。小学校から中学校って地元だから、あまりメンバーが変わらないじゃないですか。みんな私のことを知ってるまま中学校に上がってるので、「そういう子」って認識でしたね。「腕相撲の子」みたいな。
――両腕で競技していますが、利き腕は右ですよね。最初から両腕でやられていたのですか?
竹中 最初からですね。子どもの頃から腕相撲は両方でやっていて、どちらかが弱かった記憶はないです。
――アームレスリングは両腕で競技するのが一般的なのでしょうか。
竹中 大体は両方ですね。どっちかに限定すると、筋肉のバランスにも影響がありますし。右だけとか左だけという選手のほうが、逆に少ないぐらいだと思います。
全日本大会に出る前から「世界を獲る」と宣言
――中学生になると、率先して大会に出場を。
竹中 関西オープンという大会や全日本大会に出るようになりました。関西オープンでは自分のクラスで何度か優勝していました。全日本アームレスリング選手権大会は、中3で初めて出ましたね。
――その頃にはもう、アームレスリング界で「竹中絢音」の名は轟いていたのでは。
竹中 わりと知られていたかなとは思います。やっぱり親子でやっている人がその頃あんまり多くなかったので、「竹中絢音がいるぞ」というよりは「竹中親子がいるぞ」でしたね。
――2015年の全日本アームレスリング選手権大会で優勝したわけですが、年齢制限があってそれまでは出なかったのですか。
竹中 16歳になって出られるようになったので出たんだと思います。
自分が出場したクラスは55kg級と60kg級の左右だったんですけど、55kgのほうは試合をしたことのある選手が多かったこともあり順調に勝ち上がることができました。一方で60kg級の方はやはり少し苦戦しましたね。

