「関根恵子」から芸名を変えた理由

 結婚の翌年、1983年より芸名も高橋姓に改めたのも、スキャンダルを含めて世間でつくられた「女優・関根恵子」のイメージを払拭し、素顔の自分に近いところからもう一度やり直したいとの思いからだった。この年には第一子となる長女を出産し、その前後1年半ほど休業している。しかし、9ヶ月ほど子育てに専念していると「死ぬほど仕事がしたい」との思いにかられ、夫に泣いて頼み込んだという。

 ただ、いざ仕事に復帰すると子育てとの両立は大変だった。1986年に長男を儲けたのち、疲れて帰宅して洗濯物などがたまっていると、子供たちに向かって「よし、魔法のおばさんに来てもらおう!」と言って、お手伝いさんを演じるつもりで家事をすると乗り切れたという。

 家庭を優先しながら仕事を続けるなか、1987年には下村湖人の自伝的小説を映画化した『次郎物語』で主人公の少年・次郎の母親を演じた。母は病弱なため3人の息子のうち次郎をいちど里子に出したあと、実家に呼び戻したのだが、彼がなかなかなついてくれないので悩む……という役どころだった。かつてのスキャンダル女優のイメージからすると180度違う。本人もそれについては感慨があったらしく、公開時のインタビューで《文部省推薦が云々される映画ってのも、今回が初めてのことなんですよね》と口にした(『キネマ旬報』1987年5月上旬号)。

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©文藝春秋

結婚後、蜷川幸雄のもとで新境地に挑む

 結婚してからは、いい妻、いい母親といった役が続いたが、上品な感じや、しっとり落ち着いた感じの役どころは、演じ手としてしだいに物足りなくなっていく。どこかで新たな境地を開きたいと思っていた頃、東宝の演劇プロデューサーの中根公夫から蜷川幸雄演出の舞台『近松心中物語』のヒロイン・遊女の梅川の役をオファーされる。1997年、42歳のときである。同作は蜷川が配役をたびたび替えつつ再演を繰り返してきた作品で、梅川の役を交替するにあたり中根が高橋の起用を提案したという。

 蜷川とは彼が監督した映画『魔性の夏 四谷怪談より』に出演して以来だった。じつはそれ以前にも18歳のとき、彼の演出するシェイクスピア劇『リア王』に3姉妹の末っ子であるコーデリア役で出演を打診されたことがあった。だが、高橋は出演交渉のため呼び出されたしゃぶしゃぶ店で食べるだけ食べたあと、「私、このお仕事、やっぱりやめます」と言い残して帰ってしまい、蜷川と中根を唖然とさせるという“事件”を起こしていた。当時の彼女には、舞台に立つ自信がどうしても持てなかったらしい。