しかし、2021年6月、最後のつもりで臨んだ舞台『キネマの天地』の上演中、まだやりきっていない、やめてはいけないと強く感じた。その3日後には新たにミュージカル『HOPE』のオファーを受け、これは「やりなさい」というお告げだなと思い、出演しようと決める。それ以前にもミュージカル経験はあったものの、歌うのは初めてだった。

13歳で亡くなった兄、母が晩年に叶えた“夢”

 高橋は若い頃には命を絶とうとまで追い詰められたこともあったが、それでも乗り越えられたのは両親、また10歳上の兄の存在が大きかった。脳性麻痺のあった兄はずっと寝たきりのまま13歳で亡くなった。当時、高橋は幼くてまだ死というものが理解できなかったものの、その後、逆境に立たされるたびに兄のことを思い、自分には命があり元気な体があるのだからと勇気が持てたという。

 父は30年ほど前に78歳で亡くなった。一方、母はその歳で「一生に一度、一人暮らしをするのが夢なの」と宣言し、自分で賃貸マンションを探して、高橋たちと同居していた家から引っ越した。念願をかなえ、自分の部屋に友人を招いては楽しくすごしていたらしい。その後、転倒したことをきっかけに5年ほどで同居生活に戻ったとはいえ、母が89歳で亡くなる直前、「あのとき、一人暮らしをして本当によかった」と言うのを聞き、高橋は夢をかなえるのは何歳でも遅くないと思うようになったという。

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2022年、東京国際映画祭に登場した高橋惠子(右)と高橋伴明監督 ©EPA=時事

変化を恐れた18歳から“変化を楽しむ”71歳へ

 高橋は60代に入ってから、夫とともにどんなふうに死を迎えたいか希望をあらかじめ意思表示しておく「リビング・ウイル」を作成したという。とはいえ、彼女は103歳まで生きると宣言しているから、まだまだ先は長い。最近のインタビューでは、80歳までは俳優業を一生懸命やり、そのあとは外国の人たちに着物などの日本文化を伝えたいと語っている(『女性自身』2025年7月15・22日号)。

 そうやって目標を設定しつつも、今後の出会いしだいで変化することを楽しみたいという。#1で紹介したように彼女が18歳のとき、「自分がどんなふうに変わってしまうかと思うと怖い」と語っていたことを思えば、これ自体が大きな変化だ。一方で、そのとき語った「何歳になっても、何かしたいことのある人でいたい」という思いを70代になったいまも持ち続けていることに驚かされる。彼女がますます生き生きして見えるのも、そこに理由があるのだろう。

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