そんな一件があっただけに、蜷川は『近松心中物語』で中根から高橋を推薦されても当初は渋ったらしい。そこを中根は食い下がって了承してもらう。彼女のほうも、地方でも2ヶ月公演するとあって、子供のことを考えると家は空けられないと一旦は断っている。だが、中根から「子供さんのことは何とかする」と説得されたうえ、夫も「家のことは何とかするから」と言ってくれたので考え直し、このチャンスを逃したらもう二度と舞台はやれないのではないかと決意を固めた。
「あれだけ騒がせたのだから、仕事で返していかないと」
彼女はまた、かつて舞台に穴を開けてしまったことへの後ろめたさも引きずっていた。それゆえ《あれだけみなさまに迷惑をかけ、騒がせたのだから、その穴埋めは仕事で返していかないと、という気持ちがありました。女優として、観ていただいた方々にも、本当に観て良かった、と思っていただけるような私の作品を一つでも残しておきたかった》という(『東京人』2002年3月号)。本当の意味での初舞台となったこの作品は、彼女のこれまでの波瀾万丈の人生が役に投影され、蜷川も満足する傑作となった。
『近松心中物語』はのち2001年に梅川役を富司純子に替えて再演されたが、大阪公演のあと東京公演の直前、富司が急遽降板する。この事態を受け中根から代役を懇願された高橋は、《大丈夫出られるわ。中根さんには借りがあるもの》と言って、撮影中だった映画をいったんストップして引き受けたという(『悲劇喜劇』2020年3月号)。稽古できたのはわずか3日、相手の忠兵衛役も以前の公演での坂東八十助(のちの三津五郎)ではなく平幹二朗に替わっていたが、見事に乗り切った。このとき彼女は中根や蜷川たちへの借りばかりか、かつて舞台を投げ出したときの借りも完全に返したのだろう。
俳優をやめようとした時期も
『近松心中物語』に出演してからというもの、舞台は彼女の仕事のなかで大きな位置を占めるようになる。昨年(2025年)も3年ぶりに再演された『サザエさん』をはじめ舞台に3本出演している。ちなみにテレビアニメで描かれる世界の10年後という設定の舞台版『サザエさん』で高橋は磯野フネを演じた。
高橋はデビュー60周年を迎える75歳までは俳優を続けたいとかねてより公言してきた。そのため、芸歴50年となった2020年にも記念の催しは10年後に延ばしてもらった。ただ、その後のコロナ禍で、「自分が本当に好きなものって何なのだろう」と考える機会が増え、芝居以外のことも学んでみたくなり、俳優の仕事は2021年をもってやめるつもりでいたという(『婦人公論』2022年7月号)。
