そう、私はクマが見たいのだ。ここで私のクマへの思いをわかってもらうために、書いておかなければならないことがある。自分の来歴についてだ。私は北海道で生まれた。生後半年ほどで親の転勤で神奈川に引っ越し、それからは千葉、埼玉と中学にあがるまで関東の町々で過ごした。そしてその幼少年期をとおして誰しもがそうなるように私も動物好きになった。図鑑が一番の友達みたいな時期もあった。どこに行きたいかと大人に訊かれてリクエストするのは、野毛山動物園やマザー牧場、サンシャイン水族館だった。
小学二年くらいのころだったか、自分は動物のなかでも、とくに食肉目に属する動物が好きなのではと思うようになった。図鑑のそのあたりのページがよれよれになっていたからだ。ことにイヌ科とクマ科、さらにいうと日本の野生環境下で見られる動物に不思議な愛着をいだいていた。そこからニホンオオカミとニホンツキノワグマ、そしてヒグマの三種に興味がそそがれていったのは、私が男の子だったというのもあるかもしれない。それから少しして、ニホンオオカミがすでに絶滅していたと知ると、標的はクマに絞られた。そのあこがれに似た思いもあってのことだと思うけれど、小三のときの学級劇では金太郎のクマ役を買って出たりもした。
関東地方で幼少年期を過ごした私だが、母方の親戚が北海道に住んでいた縁もあって、北海道にはよく行っていた。夏休みには数週間滞在することもあり、そんなときには車であちこち連れて行ってもらい、キタキツネやトドなどといっためずらしい動物も見ることができた。野生動物がうようよしている印象の北海道だったが、どの大人の口からもヒグマを見た話は出なかった。そのころの私は、図鑑で得た知識を誰彼なくつかまえてはひけらかしていた。日本本土と北海道に生息している動物の違い、とりわけほ乳類について、北海道にはカモシカもニホンザルもいないこと、本土のクマはツキノワグマで、北海道のヒグマとはまるで違うことなど得々と語っていた。当時その町内にいた子供のなかでは、ブラキストン線に対する意識は高いほうだったと思う。
その後は中学から約二十年間、九州で暮らした。九州にもかつてはクマがいたようだけれど、私が住みはじめた九〇年代には、すでに九州にはクマはいないことになっていた。それに九州といっても、私が住んだのは九州地方第一の都市福岡市の、それも中央区内にかぎられてしまっていたので、そればかりが原因というのでもないだろうけれど、だんだんと野生動物に対する関心は薄れていった。代わりに射程に入ってきたのは、音楽や映画、文学といったいわゆる芸事の世界で、それでも何かの作品でクマが登場すると、幼なじみとでも再会したようで胸がおどった。