その数年後、私は実家を出て、仙台にアパートを借りて住みはじめた。丸六年住んで、十月の終わりにそこを引き払った。貯えが底をついたのだからどうしようもない。仙台での最後の夏は長かった。空きっ腹を抱えて終日ぼうっとしていることも多かった。九月に入り、退去日が近づいてくると、今のうちに仙台の町をよく見ておこうと思いはじめた。コロナ禍もあって行けずに終わっていた場所が多かったのだ。それで九月十月は足しげく外出し、市内を中心に歩き回ったが、なかでも気になっていた台原森林公園と東北大学植物園へは、結局行けなかった。そのころにはもう仙台の住宅地でもクマが目撃されるようになっていたのだ。あれほどクマを見たがっていたくせに、それがいざ現実味を帯びてくると及び腰になるのは、情報に毒されているようでいかにも情けなかったが、よしたほうがいいと親身にいってくれる人もいたので自重した。

 そういうしだいで、私は再び岩手の実家に寄生することになった。移って最初の二週間くらいは驚きの連続だった。近所の防災無線から三日に一度、ときには日に数回、クマの出没情報が聞こえてきたからだ。A保育園の駐車場、B公園の体育館裏、C橋の北側の河畔と、いずれも耳慣れた場所だった。Z神社の参道下など、自宅から四百メートルたらず、人間の足でも走れば一分ちょっと、クマならその半分以下のタイムでやって来られそうな近距離だ。用心に越したことはないと台所で喫煙しながら双眼鏡のレンズを拭いていて、異臭が鼻を打った。見れば生ごみ用のポリバケツのふたがわずかにあいて中身が溢れ出そうになっている。今日は水曜日で、生ごみの回収は木曜だった。この地区ではごみ出しは朝にすることになっている。私はそんな時間には起きていないから、前夜のうちに出すようにしているのだが、何だか今日は夜の闇のなかを歩ける気がしない。日のあるうちに出しておこうとポリバケツから袋を引き出し、口を結んで、玄関を出た。

何かがうずくまっているのが見える

 ゴミステーションまで、おおよそ百歩の道のりを歩いていく。あの雪の釣行の景色がよみがえり、いつにもまして警戒の目を配りながら、ゴミステーションにたどり着いた。重い引き戸を引いて、その物置のような小屋のなかへ入ると、ポリ袋を置き、隅に目をやった。あいた引き戸からさした外光を受けて、何かがうずくまっているのが見える。ずっと捨ててある段ボール箱で、サイズからいって幼獣だった。どうしてこんなところに、そんなに痩せて。今すぐここを出て、田んぼにおりたら川辺に柿の木がある、来年までの辛抱だ。しかしブナだっていつまでも実をつけてくれるとはかぎらない。ブナばかりじゃない、ミズナラもコナラも。山のドングリが凶作のときには早く冬眠するようにするとか、発情を抑えられるようになるとか、そっちも何か戦略を持ったほうがよさそうだ。

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 こっちも対策は打つ。境界線をはっきりさせる、うまくやっていこう。昔うちにいたポメラニアンとだぶらせて、クマにいい聞かせるところを思い描きながら自宅までの道を引き返した。いつも思うのだ、人間と同じように、言葉がつうじたなら。人間と違って憎みあうことにはならないんだろうに。木枯らしが吹いてきた。玄関まで、あと五十歩くらいか。

次の記事に続く 「私は羆に用心するから、遭遇することは滅多にない」それでもうっかり近づきすぎて見た羆の姿は…