先ほど私は、九州にはクマはいないみたいなことを書いた。ところがその九州で、たとえば居酒屋なんかで男同士で話していると、ちょくちょくクマの目撃談が出た。河童やツチノコと似たような扱いではあったものの、そんな話を耳にするたび、クマは泳ぎが得意だから、山口県での目撃情報がある以上、関門海峡を泳ぎ渡ってくる個体がいてもおかしくないだろうと思うのだった。その九州時代に私は川釣りをはじめ、シーズンになると対象魚であるヤマメを求めて単身山に入っていたが、そこでも私はまだ見ぬクマとの出会いの期待から、竿を置いてしばらく周囲を探ったりもしていて、思えば悠長なことだった。
私は失業し、岩手で生活することになった
環境省が九州のクマの絶滅宣言を出した二〇一二年、私は失業し、岩手で生活することになった。実家に逃れたのだったが、実家といっても、ほんの数年前に親が終の棲家にさだめたようなところだったので、息子の私からしてみたらほとんど未知の土地だった。一人の知り合いもなく、ただし無職で、時間は無尽蔵にあった。それで覚えたのが自然とのつきあいで、岩手は自然の宝庫だった。虫捕り、植物採集、バードウォッチング、川釣り三昧の日々で、多くの野生動物を目撃したが、クマとは出会えなかった。しかしそのころにはもう、クマというものはそうそう見られるものではなく、山で何か獣の強い臭気を嗅いでも、仮にそれがクマのものだったとしても、向こうは周到にこちらを避けているものと信じこむようになっていた。爆竹も熊鈴も持たずに山に入った。森を歩いていて視線のようなものを感じても、ピッと笛を鳴らすくらいで済ませていた。キノコが気になって毎日山に行くようになる、冬眠をひかえたクマたちのほうでは食い溜めで忙しくなる、九月から十一月にかけても、私はかなり軽装で、どうかすると部屋着のまま出かけていた。
そんな私がクマと最接近したのは、九州から岩手に移住して、たしか三年目の、四月のことだったと思う。渓流釣りというのは三月が解禁で、四月の山は麓でもまだ雪が残っている。場所によっては雪が深すぎて、車を乗り捨てて川までの結構な距離を歩かされることになる。その雪というのが膝まで積もっていたりするからなかなかしんどい。今日はもう帰ろうと足をとめたとき、釣り人のものらしい足跡を見つけた。ためらいなく真っすぐ川へと続いている。これさいわいと私はその足跡をたどって歩きはじめた。踏み固められた道を行くのはずいぶん楽ですいすい歩けたが、少し進んで、それが人間がつけたものではないことに気づいた。クマの足跡なのだ。冬眠明けの顔でも洗いに行くのかと思うと微笑ましかったが、それよりはやはり身の危険を感じて、私は踵をめぐらした。