――空港から病院へは直行でしたか。

佐藤 空港で待っていてくれた保育園の先生が、車で運んでくれました。救命救急の救急外来を開けてもらって、ベッドに寝てからは、時間経過が全く分からなくなりました。

 痛さで気絶したり、意識を取り戻したりを繰り返していたと思います。「レントゲンを撮ったかな」「MRIを撮ったかな」という断片的な記憶しかないんです。下半身の麻痺によって膀胱もパンパンだったようで、すぐに管を入れて尿を抜いてもらいました。

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――奥様はずっと付き添われていたわけですよね。

佐藤 いいえ。妻は私の代わりに研修会の会場に行ってくれました。妻が指導を終えて病院に戻って来るまでは保育園の先生が立ち会ってくれていましたが、その間の不安は計り知れないものだったと思います。その後、医師とのやり取り、家族への連絡などは、妻がやってくれました。僕は痛みと混乱でそれどころではなかったので、その日の状況は全く分かりません。付き添ってくださった保育園の先生には感謝しかありません。

(写真=本人提供)

すぐに脳神経の先生を呼んでくれて、MRIを撮って…

――朦朧とされている中で、医師たちの反応で覚えていることはありますか?

佐藤 とにかく腰が痛かったので、宿直の整形外科の先生に診ていただきました。「レントゲンを撮りましたけど、骨に特に異常はないですね」と言われて、「そんなわけないよな」と思いながら聞いていました。

 後から聞いた話ですが、その先生も「これは普通じゃない」と思っていたようで、すぐに脳神経の先生を呼んでくれたんです。それでMRIを撮って、その日のうちに「脊髄炎か脊髄梗塞かもしれない」と。

 通常だと、脊髄梗塞は検査を繰り返して、いろんな科に回されて、診断がつくまで1週間、2週間とかかることが多いそうです。そうなると手遅れになって、車椅子での生活になる確率が高くなる。僕の場合は、非常にまれなケースだったようです。

――「脊髄炎か脊髄梗塞かもしれない」と聞いて、どのようなお気持ちでしたか。

佐藤 救急外来から病室に移動して、入院することになった時に「もしかしたら脊髄炎か脊髄梗塞かもしれない」という話を聞かされたんですけど、聞いたことのない病気で。看護師さんが病室にスマホを置いていってくれたので、痛みでヒーヒー言いながらも調べてみたんです。

 そうしたら、犬や猫のペットが掛かる病気として脊髄梗塞が出てきたんです。それぐらい、脊髄梗塞という病気のことが広まっていなかった。さらに調べていくと、めったにない病気で「もう治らない」と。治療法は支持療法とリハビリしかない。支持療法って、痛みを和らげて穏やかに過ごせるようにする療法のことなんですよ。

 それを見て、「ああ、もう絶対に治らないんだ」と自覚しました。

 

写真=末永裕樹 /文藝春秋

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