国鉄とクルマ社会に敗れた廃線

 京福電車の越前本線勝山~京福大野間は、1974年に廃止される。その役割は、福井の市街地と勝山盆地、そして大野盆地を結ぶこと。特に大野は譜代の名門・土井氏4万石の城下町をルーツに持つ、福井県山間部を代表する都市だ。福井市内と大野盆地を結ぶ交通機関は、かつて京福電車しかなかったのである。

 ところが、1960年に国鉄越美北線が開通する。すると、勝山を経由せずに直接福井と大野が結ばれた。

 さらにこの頃には地方都市にもクルマ社会の波が押し寄せる。そうなってしまえば、輸送力の小さなローカル私鉄に勝ち目はなかった。かくて1974年、京福勝山~京福大野間は、国鉄とクルマ社会という強力な敵を前に敗れ去ったのだ。

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 大野の中心市街地に入ってきた京福電車の廃線跡は、町の中央部を南北に抜ける県道240号線沿いをゆく。大野口駅は貨物専用の駅。その先が終点の京福大野駅だ。

 廃止後に京福バスの営業所になったが、駅舎はその後取り壊されて金融機関になっていた。それもいまはなくなって、税理士事務所になった。

 

 廃止から50年以上が経っているのだから、入れ替わりが重なっているのもあたりまえ。だが、なんだか地方都市の悲哀を感じてしまう。

町中を歩く人の姿はほとんどなく…

 この京福大野駅(の跡)からJR越美北線の越前大野駅までは、歩くとざっと20分。雪の降る大野の町中を歩いている人の姿などほとんど見かけない。だいたい地元の人は、クルマで移動するのが当たり前なのだろう。

 

 そんな大野の町の西端の山の上には、大野藩の藩庁だった越前大野城がある。条件に恵まれれば、雲海に浮かぶ“天空城”になることもある観光名所のひとつだ。

 だから、もしもいまも京福電車が現役だったなら。恐竜博物館を訪れて、その足で京福電車に乗って大野にも立ち寄って、などという旅が気軽にできたのだ。ついでにいえば、越美北線で福井方面に向かえば織田信長に滅ぼされた朝倉氏の一乗谷屋敷跡。そんな旅が難しくなってしまったのはいささか残念だ。

 が、まあクルマに乗ってしまえば恐竜博物館も大野城も、めちゃくちゃ楽ちんで回ることができるのですが。

撮影=鼠入昌史

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