52年前に消えたナゾの廃線
だいいち、恐竜博物館がオープンしたのは2000年のこと。恐竜博物館がなかった頃、えちぜん鉄道勝山永平寺線は京福電鉄越前本線と名乗っていた。京福といえば、京都は嵐山までの電車、通称“嵐電”を走らせている鉄道会社だ。
その京福の前身、京都電燈が福井県内で電力事業を営んでいた縁で1914年に開業させたのが、京福越前本線だ。京福は他にも三国芦原線や永平寺線など複数の路線を福井県内に走らせている。
そして、越前本線は1918年に勝山駅からさらに南下して、大野盆地は大野市の中心部に位置する京福大野駅(開業時は大野三番駅)まで延伸開業したのだ。勝山~京福大野間は1974年に廃止された。さらに2003年には京福が福井県内の鉄道事業から撤退し、第三セクターのえちぜん鉄道に引き継がれている。
廃止されて半世紀以上が経って、さらに経営体制も一新したいまとなっては、もはや京福電車が勝山から大野まで走っていたことを知る人も少なくなっているに違いない。が、半世紀前だろうと廃線は廃線。いったいどんなところを走っていたのか、雪道を辿ってみることにしよう。
九頭竜川沿いの道路を歩く
さっそく勝山駅から、恐竜博物館行きのバスに背を向けて、廃線跡の旅。といっても、勝山駅はすっかり様子を変えていかにも終着駅然としている。そもそも線路の車止めの先には工場のような大きな建物が建っていて、線路が続いていたなど想像もできない有様だ。
古い航空写真を見れば、工場の脇をすり抜けるように線路があったようだから、きっと廃線後にその跡地まで工場が拡張したのだろう。工場を抜ければ、その先で九頭竜川沿いの道路へと廃線跡は合流する。
福井県を代表する大河の脇を、のんびりとローカル電車が走っていた……。そんな光景をつい思い浮かべてしまう。現在の勝山永平寺線とてお客はそれほど多くない。きっと、京福電車の現役時代も列車の中はガラガラだったのだろうか。


