「新幹線で通過することはあっても、降り立つ人は少ない」と言われてしまう岐阜県だが、全国に誇れるものがいくつかある。観光客が多く訪れる白川郷、高山の昔ながらの町並み、宮内庁式部職による長良川の鵜飼い、岐阜和傘などの伝統工芸……そして、忘れてはならないのが中部地区最大規模を誇るソープランド「金津園」だ。

 金津園の歴史は古く、明治21年に現在の西柳ヶ瀨に開かれた金津遊郭を起源とする。外界と遊郭を隔てる大門の向こうには妓楼が建ち並び、多くの遊女が暮らしていた。そんな金津遊郭は行政にも多くの富をもたらし、岐阜市政の発展に大いに貢献した。

 終戦間際の昭和20年、軍需工場の寮を建設するため移転を余儀なくされ、現在でいう岐阜市手力町付近に移転する。戦後、少し落ち着いてきた昭和25年になると、岐阜駅に近い岐阜市加納水野町に再度移転し、現在の金津園が形成されていった。

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JR東海道本線(右)と金津園(左)

 岐阜市の歴史を知る上で、金津遊郭と金津園の存在は必要不可欠であると私は思っている。金津遊郭がなかったら、岐阜市政の始まりは確実に遅れていた。それにもかかわらず、まるでそんなものはなかったかのように扱われることが多いようにも感じる。そんな金津遊郭と金津園のことを、少し紹介していきたい。

親子三代、金津園で店を経営

 既述のように金津遊郭は二度移転している。そのため、今の金津園にある建物は、最も古くても昭和25年以降のものだ。しかしお店としては、遊郭時代からずっと続いている老舗もある。

金津園の町並み

 大正9年の創業以来、親子三代で店を受け継いできたオーナー、守谷さん(72歳/仮名)に話を聞くことができた。金津園で現在も営業しているお店としては最も歴史が深く、コロナ禍までは金津園を束ねる岐阜県特殊浴場防犯組合の組合長も勤められていた人物だ。

 まずは店の来歴からお聞きした。

 大正9年に祖父が金津遊郭に“十四楼”を創業。二度目の移転で現在の水野町へ移ったそう。なお、商売上とても重要となる場所決めは、くじ引き抽選により公正に行われたという。1軒の面積は63坪と決まっており、碁盤の目のように整然と遊郭が建ち並ぶ特殊な町並みが出来上がった。

風俗店の看板が並ぶ現在の金津園

 十四楼は2軒分の土地を使う二軒店と呼ばれる形態。コの字型の造りで中央には池を配置し、昔ながらの遊郭の風情だったそうだ。遊女は20人ほど在籍し、守谷さん一家は一階の隅の部屋で暮らしていたという。