以上のような事柄もまた、「世の初めから隠されてきた事実」の一例なのだろう。

 人間の性的指向、嗜好は、本来、一定の方向性をもたない、どこに進んでゆくかわからない性質をもっていると思う。それは、人間の性というものが、本質的には人間の高度な意識の所産であり、その意味で「幻想」だからである。社会的な「幻想」には有害なものが多いが、性に関する限り、それから「幻想」を取り除いてしまえば、あとには、寒々とした裸のリビドーしか残らない。

画像はイメージ ©SHU/イメージマート

 多数派とは異なる性的指向、嗜好をもつ人々がいつどのようにしてそれを自覚したかを調査した結果によれば、「ある時ふとそれに気付いた」というのがほとんどで、特定の原因など見出せないというのも、上記のような事態の帰結だと思う。つまり、先にふれた精神分析学者たちの説明(性的コンプレックス原因説)は、根拠に乏しい。

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 また、性的指向の多様性については、ほとんどの場合、脳の器質的な問題も関係していないようである。高名な脳神経科学者エリック・R・カンデル(美術にも造詣が深い)も、「解剖学的な性別と性自認の不一致であるトランスジェンダーについては生物学的な基盤が明らかにされつつあるが、『性的指向の多様性一般』についていえば、ほとんど何もわかっていない」と述べている(『脳科学で解く心の病: うつ病・認知症・依存症から芸術と創造性まで』〔大岩ゆり訳。築地書館〕 )。

 この項に記してきたような理由から、私は、人間の性的な指向、嗜好それ自体については、どのような方向のものであっても価値的な差はなく、差別されるべきでもないと思う。また、犯罪行為やそれに準じる行為に至らない限り、非難されるべき事柄でもないと考える。

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