1時間400円もかかっていたネット接続 最初は日本語サイトなんてなかった

アングラな無法地帯で身につけたリスク感覚

赤木 智弘 赤木 智弘
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アングラや悪乗りにエネルギーを使うサイト

 しかし、1995年にテレホーダイのサービスが開始されて以降、深夜に限られるもののインターネットに接続し続けられる環境が生まれました。プロバイダも増えて競争原理が働き、安価に長時間インターネットに繋げられるようになりました。サーバーも増えてネットワークはどんどん速く安定的になっていきました。

 インターネットは新しいメディアなので、集う人たちもエネルギッシュな人が多く、アングラや悪乗り、政治的なものなど、そういうエネルギーを使うサイトがたくさん増えました。私はよく「下水道」とか「あやしいわーるど」とか「Der Angriff」などの掲示板にいてアングラぶってました。「2ちゃんねる」ができるのはもう少し先です。ゲームは好きですがセガ派ではないので「セガBBS」にはいませんでした。

 アングラといえば、1995年に起きた地下鉄サリン事件の影響からか、不謹慎ゲームのブームもありましたね。中でも「地下鉄サリンゲーム」と呼ばれた「霞ヶ関」はニュースにもなりました。僕はそれを友達の家のパソコンでプレイしていました。中にはゲームオーバーになるとハードディスクを強制削除するようなゲームもあったり、有名な不謹慎ゲームにウィルスを仕込んで流す人などもいました。むやみに拾ったソフトを実行することのリスクを肌感覚で学んだものです。

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地下鉄サリン事件とオウム真理教は、さまざまな不謹慎ゲームやサイトを派生させた ©getty

 リスクと言えばブラクラも大流行。「You are an idiot!」が止められなくなったのをきっかけに、リンク先のURLはしっかり確認する癖が付き、おかげでエロサイトのダミーリンクには引っかからずにすみました。

オフ会参加者の半数が同じデジカメ

 ただ、アングラ的なものって、インターネットではなく、主にパソコン通信でやり取りされていたんですよね。実際、当時はまだインターネットよりもパソコン通信のほうが、平凡な話からアングラな情報に至るまで、話題も多かったですし、オフ会などの交流も活発でした。

 あるオフ会に顔を出した時に、参加者が20人くらいで、うち10人くらいが、当時発売されたばかりのデジタルカメラ「QV-10」を持ってきたなんてことがありました。当時のパソコン通信には、そういう最先端モノが好きな人がたくさんいたのです。

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1995年に発売された初の液晶画面付きデジタルカメラ「QV-10」[カシオ計算機提供] ©時事通信社

 インターネット上の交流ベースとしては、メーリングリストが多く使われていたと記憶しています。僕はゲームのメーリングリストの仲間たちと、よく「IRC」でチャットをしていました。週に1回、テレホタイムの23時から、翌2時過ぎくらいまでバカ話。まるで学校に自然に友達が集まるかのように集まっていましたね。今思えば貴重な時間でした。