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空襲で焼け落ちた駅舎は…
戦争が終わると、軍都としての機能は消失する。ただ、豊橋には農業地域である渥美半島の玄関口という役割もあった。渥美半島から運んできたのか、駅前の焼け跡には巨大なヤミ市が形成された。
豊橋の人々だけでなく、近隣からもたくさんの人が買い出しに。空襲で焼け落ちた豊橋駅はバラック建ての仮駅舎だったが、そこに1日3500人以上が押し寄せるほどの活気だったという。
豊橋駅の周辺を歩くと、あちこちにそんな歴史の痕跡が刻まれている。たとえば、“西駅”と呼ばれる駅の西側、線路沿い。そこにはバラック建ての酒場長屋が並んでいる。
いくらか若い人が好みそうな店も目立つが、きっと歴史は相当に古いのだろう。酒場長屋を北に行ききって陸橋を潜ると、どうにも遊郭建築と思しき古い建物もあった。
この一帯がいつ頃どのようにして形成されたのかはわからない。ただ、多くの将兵が暮らす軍事都市には、こうした歓楽的な要素はつきものだ。戦前の豊橋では花柳病(性病)が流行したほどに、赤線・青線の類いが賑わっていた。
そういう文化的な土壌が、路上の伝説を生んだ……のかどうかはわかりません。
さらに駅東口の線路沿いを少し南へ。穂の国とよはし芸術劇場プラットが建つそのすぐ脇には、実に古めかしい昭和の香りがムンムンのビルが建っていた。


