ギギが「ニセモノ」と呼び批判するものの正体

 村瀬修功監督がアレンジしたのはギギ・アンダルシアの人物造形についても同じだ。今回のハサウェイ3部作の映画化まで、ギギはガンダムファンの間でそこまで話題にあがるキャラクターではなかった。だが映画2作が公開された今、ギギ・アンダルシアは多くの歴代ヒロインに並ぶ屈指の存在感を放っている。

 ギギが光を放つのは、女性性から見た革命運動の批判者であるからだ。第1作の序盤でかぼちゃ仮面の偽マフティーを前にしたハサウェイに言い放つ「やっちゃいなよ、そんなニセモノなんか」というギギのセリフもまた、原作小説のギギの言葉をより洗練させて村瀬修功監督が生み出した名バースである。

『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』2巻(角川コミックス・エース)

 その言葉は仮面の男が偽マフティーであることを直観的に見抜いたセリフである以上に、「そんなテロリズムの社会正義はニセモノだ」という女性による痛烈な告発のニュアンスを含んでいる。思想的に正反対であるにも関わらず、あるいはだからこそ、ハサウェイとギギはひかれあっていく。

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『キルケーの魔女』であるギギは何度も直観を発揮するのだが、映画の中でそれは「ニュータイプ」とは違うものとして描かれる。「ニュータイプ/オールドタイプ」という二分法とは別の軸にある、直観的な女性性による批判者、魔女としてギギは描かれるのだ。だが、「そんなニセモノなんか」という痛烈な批判は革命運動だけに向けられるのではない。映画の結末のネタバレにはなってしまうが、クライマックスにおいてギギは権力者の愛人の座を捨て、ほとんど命も投げだすかのように、あるいは命の火を燃やすようにハサウェイの手の中に飛び込むのだ。

 それはギギが革命運動に目覚めたからではない。ハサウェイの腕の中でキスをする鮮烈なラストシーンの瞬間ですら、「マフティーのやり方、正しくないよ」というギギの直観はおそらく揺らいでいない。ギギが愛人として与えられた特権階級の豪邸を飛び出すのは、権力で守られた安全な暮らしもまた仮面のテロリストと同じように「ニセモノ」であるからだ。「ここにいても、本当のことは聞けないのね」自らの作品を残すように作り変えた豪邸のベッドで、ギギはテレビの報道を見ながらそうつぶやく。

学生運動を経験した世代の「革命批判」は現代にどう受け止められるか

「革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標を持ってやるからいつも過激な事しかやらない」

『逆襲のシャア』のアムロの名台詞は、何万回となくネットで引用されてきた。富野由悠季作品で何度も繰り返される「革命批判」の言葉は、前作『閃光のハサウェイ』でも登場する。それは学生運動の失敗を経験した彼らの世代による痛切な反省からきている。

 1月に渋谷で開催された安彦良和展では、学生運動で逮捕され弘前大学を退学になった安彦良和を顔写真つきで報じる地元紙の新聞記事や、当時の彼が同じ学生たちに呼びかけた檄文が展示されていた。硬直した政治イデオロギーにも、その反動としての現状維持にもとどまってはならない、と保守にも革新にも問い続ける姿勢は、その後の富野由悠季や安彦良和の創作を貫いている。

 だが彼らがその自分の経験から、身を切るような思いでキャラクターに言わせた「革命批判」が、下の世代によって「現状肯定」として冷笑するミームに代わっていくのを、富野由悠季や安彦良和たちは苦い思いで見ていたのではないかと思う。