放浪中の青年は、なぜ「殺人犯」にされたのか。少女殺害事件の捜査線上に浮かんだのは、前科歴のある1人の男だった。

 拷問まがいの取り調べ、自白偏重の捜査、鑑定の対立――死刑判決から34年後に無罪となった島田事件の核心に迫る。新刊『世界で起きた恐怖の冤罪ミステリー35』(鉄人社)より抜粋。(全2回の2回目/前編から読む)

写真はイメージ ©getty

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「前科者」のレッテルを貼られ

 3歳のころに脳症にかかって軽度の知能の遅れがあり、学校では仲間はずれ。小学校の学籍簿には「精神的に劣る。何事も原始的の観あり、永続性なし。性温良なり、教師の命によく服従す」とあった。次第に学校をさぼって仲間と空き巣を働くようになり、卒業後は神奈川県川崎市の工場へ旋盤工の見習いとして勤務したが、3ヶ月で島田市に戻り終戦を迎える。

 その後、友人と野菜や鶏を盗んで捕まり、1946年11月、懲役1年以上3年の不定期判決を受け、松本少年院に送致。1ヶ月後、八王子少年院に移され、防火用水に投身自殺を企てたが未遂、刑の執行停止によって実家に戻った。

 それからはしばらく土木会社、土建会社に勤めたものの、またも窃盗を働き懲役8ヶ月の刑を受け静岡刑務所に。ここでも自殺未遂を起こし刑執行停止となるも、分裂症と診断され精神科病院に1年間入院。退院後は静岡刑務所に戻され、府中刑務所に移され服役。釈放されたのは事件が起きる8ヶ月前の1953年7月で、以降は「前科者」のレッテルを張られ、定職に就かず各地を放浪していたらしい。