一度は死刑囚になったが…

 確定死刑囚となっても赤堀さんは無実を訴え、弁護人を介して1966年4月までに3回再審請求を行うが、いずれも却下。1969年5月に出された第4次請求も静岡地裁により1977年3月に棄却されたものの、これを不服として起こした弁護側の即時抗告に対して、東京高裁は1983年5月23日、審理を地裁に差し戻す決定を下す。

 ここで弁護側は、有罪・死刑の決め手となった古畑鑑定を否定する複数の新たな鑑定を新証拠として提出。静岡地裁は検察側・弁護人側から提出された双方の鑑定結果を吟味したうえで「死刑囚・赤堀の自白は被害者の遺体胸部の傷の状況から信用性・真実性に疑問がある」などを理由に1986年3月30日、再審開始・死刑の執行停止を決定する。

 検察の即時抗告も東京高裁は1987年(昭和62年)3月25日にこれを退け、検察側が特別抗告しなかったことで、ついに再審開始が確定した。

ADVERTISEMENT

 再審は1987年10月19日に静岡地裁で始まり、計12回の再審公判で検察側・弁護人側の双方がそれぞれ法医学者を証人尋問した他、21点の証拠が提出され、改めて「自白の信用性・被害者の傷」などについて証拠調べが行われた。そして1989年1月31日、判決公判で出された結論は無罪。判決は、胸部の傷は石で殴られたものとみるには疑問があり、自白はいくつかの客観的事実に反し信用性は低いと認定したうえで、自白調書以外には、被告人と犯行を結びつける証拠はないと断じていた。

 同日、静岡刑務所拘置監に収監されていた赤堀さんが34年8ヶ月ぶりに釈放される。静岡地検は控訴を断念したことで2月15日に無罪が確定。

 同月27日、静岡地裁は刑事補償法に基づき、赤堀さんに1億1千7万9千200円(1954年5月28日に別件逮捕されてから釈放されるまでの1万2千668日×刑事補償法第4条で規定された補償金の1日最高額である9千400円)を支払う決定を下した。