拷問のような取り調べ

 そこから拷問と言うべき取り調べが始まる。

 後の赤堀さんの証言によれば、「8人の刑事が目の前で子供を連れ出すところや強姦する格好を手まねや身振りで教えてくれ、そんなことは知らないと言うと、かんかんに怒り、両手で首を絞めつけたり、両腕を掴んで逆にねじったりした。便所にも行かせてくれず、調べ中に一回小便をもらしてしまって、下着がグジョグジョになってしまったことがあった」そうだ。

 赤堀さんはこうした過酷な取り調べに耐えきれず、30日、強要されるまま犯行を認める。警察が作成した自白調書には次のような文言が並んでいた。

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〈久子ちゃんの上に乗りかかって姦淫し、その結果同女に外陰部裂創等の傷害を負わせたが、同女がなおも泣き叫んで抵抗し、意のままにならないのでひどく立腹し、同女を殺害して犯行の発覚を免れようと決意し、付近にあった拳大の変形三角形の石を右手に持って同女の胸部を数回強打し、両手で同女の頸部を強く絞めつけ、窒息死させた〉

 自供を受け、警察は誘拐・殺人・強姦容疑などで赤堀さんを逮捕。6月17日、静岡地検が起訴する。

 裁判は1954年7月2日から静岡地裁で始まった。赤堀被告は「警察官に拷問され、虚偽の供述をさせられたが、自分はこの事件に関していかなる関与もしていない、無実である」と起訴事実を全面的に否認。