終戦直後、借家の一室で足踏みミシン1台とハサミ1丁から再出発した町工場があった。社長は近所の女性たちにハサミの持ち方から教え 、ヤミ市場で超高値で布を仕入れる大勝負に打って出る。この会社はその後、国の法律にまで影響を与え、ビッグプロジェクトを次々受注する業界トップ企業となる。その歩みとは?
4000社以上の企業を取材してきた著者が、小規模なマーケットで圧倒的な世界シェアを誇る50の企業を大解剖した『世界シェアNo.1のすごい日本企業』(田宮寛之著、プレジデント社)より一部を抜粋して紹介する。
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「東京ドーム」に代表される太陽工業の膜構造建築
太陽工業は「東京ドーム」に代表される膜構造建築物(テント構造物)のリーディングカンパニーとして、世界トップクラスのシェアを持つ。
膜構造建築は、膜材の自由な形状を活かすことができるためデザイン性に富むほか、光の透過性にすぐれているのが特徴だ。
さらに膜構造建築は軽量のため施工しやすく、鉄骨構造の屋根より割安。屋根を支える柱の量が少なく済むため、大きな空間を確保しやすいというメリットもある。
同社は国内外で豊富な施工実績を誇る。例えば、2022年に行われたサッカー・ワールドカップ・カタール大会のハリーファ国際スタジアムの屋根を施工したのも同社。日本代表がドイツとスペインに勝った試合を天井から見つめていたのは、同社の屋根だったのだ。
スポーツ施設だけではない。メッカに次ぐイスラム教の聖地・メディナのモスク周辺に、巡礼者を迎える日除け施設「大型アンブレラテント」(一辺25.5メートルの正方形)250基を製造した実績もある。
また、2011年の東日本大震災では、福島第一原発(1号機)を膜で覆う計画に参画し、事態収束の一翼を担った。
ミシン1台とハサミ1丁でスタート
太陽工業の始まりは、1922年に能村金茂(能村祐己社長の曾祖父)が大阪市大正区に設立した能村テント商会に遡る。1929年にキャンピングテントとして開発された「モダンテント」は、空気で膨らませた自転車のチューブを支柱とし、それが綿布で覆われる構造となっていた。空気膜構造の「エア・ビーム方式」の原型でもある。
金茂はさまざまな製品開発を進めたが、第二次世界大戦の激化にともなう企業整備令の公布により1943年8月に廃業を余儀なくされた。

