〈本の内容を渡鹿野区代表と観光協会に伝えると、今はそんな事実はない。健全な島のイメージで観光客を呼ぼうと努力しているところにこんな本が出されては迷惑だ、という要望を聞いて廃版を求めたまでだ〉
そして寺園氏は、〈もっともらしい理由を並べて出版を妨害しておいて、買売春の有無は知らないとは、無責任な話ではないか。(中略)買売春の実態は知っていた。しかし、行政としてそれを隠蔽するために対応しなければならなかったと考える方が自然であろう〉とまとめている。
その是非は別として、行政側としては、買売春が行われていることに触れるだけでも藪蛇なのだろう。廃版になった経緯の詳細は省くが、裏で部落解放同盟委員長が動いたという。
「いま機能している置屋は1軒、2軒」
ところが、である。私の取材に対し、紛れもなく行政側である三橋さんは、「まあ女の子を置いている置屋さんという店が20年ほど前までは8軒、いやもっとあったかなぁ。当時はずいぶん、置屋さんもあったけども、もういまは機能しているのは1軒、2軒です。女の子はもう島には住んでいない状況です。いや、数人は暮らしているのかなぁ」と続け、隠蔽したりはしなかったのだ。
「その置屋のはじまりをご存じですか」
そうたずねると、三橋さんはこの島の歴史をひもとく上で核となる話をはじめた。
「移住というかね、4人の女性、四国や九州の人たちだと思うんだけど。あのね、対岸に鵜方って町がありますよね。その4人は鵜方にいた人らみたいなんだよね。どういう理由でいたかは知らないけどね、とにかく4人の女性が鵜方にいて、当時は志摩郡だったけど、近くに『面白い離島があるぞ』と。4人はそんな噂を聞きつけて渡ってきたらしくて。まあ彼女らは、おそらく鵜方で春を売っていたんじゃないの」
「四国や九州出身の女たち……。当時は渡鹿野だけじゃなく、鵜方を含めた周辺地域でも売春が盛んだったと聞いています」
「うん。あったでしょうね。だからその4人が渡ってきて、島で(売春を)はじめたんじゃない? はじめたらお客がたくさん来たから『これは儲かるぞ!』ってなもんだな。他にも置屋関係者は四国出身者が多かったから、おそらく仲間というか知り合いの女の子を呼び寄せて、その子らを元手にどんどん島で売春を広めていった。それで湧いちゃったんだろうね」
三橋さんは、鵜方にいた4人の女が、稼げる島との噂を聞きつけ渡鹿野島にやってきたというのだ。そして、4人は置屋という城を構え、徐々に仲間を呼び寄せ売春が盛んになっていったのだと。
