田原は18歳だった1979年にドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)の生徒役で芸能界にデビューし、翌年には「哀愁でいと」で歌手デビューを果たした。以来、1990年のシングル「ジャングルJungle」まで37作連続でオリコンベストテン入りという記録を打ち立てている。ただ、20代後半になると、シングルの売り上げ枚数が伸びず、歌手として人気に陰りが出ていたのも事実である。

「哀愁でいと」(1980年)

 1987年にはデビューから7年連続で出場していたNHKの『紅白歌合戦』に落選している。そんな時期だっただけに、「びんびん物語」シリーズのヒットは、壁にぶつかっていた田原を救い、再ブレイクするきっかけとなった。とりわけ『教師びんびん~』で教師を演じたことには感慨があり、《『金八先生』に出て生徒役でデビューして、何年も経った後に教師役をさせてもらえたのは幸運でした》と後年振り返っている(『週刊文春』前掲号)。

「NHKへの報復ではない」紅白辞退の“真意”

『教師びんびん~』で彼自ら歌った主題歌「抱きしめてTONIGHT」も28万枚を売り上げるヒットとなる。『紅白』にも2年ぶりに出場歌手に選ばれるが、「昨年の段階で紅白は卒業させていただいたと思っています」として辞退した。これについて当時メディアでは「前年落選に対する報復」と取り沙汰されたが、のちに本人は著書で「それはちょっと違う」と、辞退の真意を次のように説明している。

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《僕が辞退した理由はNHKへの報復ではなく、NHKのとった態度が僕の哲学に反していたからだ。一度は要らないと言っておきながら、手の平を返すように、また来いというのはどういうことなのかと思った。その答えは簡単である。僕は三六五日分の一日のために頑張ってきたのではなく、他の三六四日の方がよっぽど大事なのである。ただ、それだけのことだ》(田原俊彦『職業=田原俊彦』ロングセラーズ、2009年)

「抱きしめてTONIGHT」(1988年)

 もちろん、ファンの気持ちを考えれば出たほうがいいだろうかと悩み、所属事務所のスタッフからも出るように説得されたものの、田原は結局、自らの哲学を貫くことを選んだのだった。こうした彼の頑なさは、その数年後、マスコミからバッシングを受けて一時、仕事が激減することにもつながってしまうのだが……。

 それについては#2で後述するとして、『教師びんびん~』で教師を演じて田原が感慨を抱いたのは、彼が6歳のときに亡くなった父親が小学校の教師だったからでもある。《だからドラマで教壇に立ったとき、『親父が見ていたのはこんな景色だったのかな』ってくすぐったいものを感じた》という(『週刊文春』前掲号)。